最近、取り入れ始めた言葉の
「よくわからないけど
●●してみよう」

これ、
頭で良し悪しを判断しやすい私には
しっくりくる言葉です。



特に、体のメンテナンスは
よくわからないけどやってみる、
疲れを自覚できないけど
調子に乗って動かず適度に休む、

というぐらいでいいのかも。

体は
無意識の集大成なところがあって、
なかなか、顕在意識で拾えない情報が
圧倒的に多いからね。


最近は、
自宅に眠っていたこれ↓に、
よくわからないけど
毎日両足乗っけてます

足ツボチェックは
日々の体調バロメーターになるよね…

いつも、腎臓部分が、
時折、胃腸の部分が痛みます。

痛みがない!って日が来るといいなあ。



あとは、
何かをしようとして
不安とか出てきたときや

それをやるメリットが
感じられないときに
(むしろ、でもこれが嫌だ、面倒だ、って
ブレーキが出てきたときに)

よくわからないけど
やってみよう

失敗しても
ぐったり疲れても
後でよくなるから
大丈夫!!!


と、
声をかけるようにします
(未来型で書いてるのは、
これ思いついてから
使うシチュエーションに出会ったことがまだないから)


というのも、

私、過去に

喜びの和の場にいて
体がボロボロに疲れた

という経験を2度してまして、

(翌日または数日後に、
脳がいつものように動けず、
体動かず、食事すらろくにとれずに
一日と少し寝たきり廃人状態に…)

いつしか、メンタルブロック作ってたんですよね、

大きな、パワフルな幸せの空間にいくと
大量のエネルギーに
私の体が耐えられる気がしない…

体が、脳が
壊れるのが怖いから
いつもの幸せに毛が生えたくらいの幸せで
いいんです。

と。

受け取り拒否ィィィ…!!!


敏感はつらいよ…!

受け取り拒否するな、って言ってるの
鈍感な人たちでしょ!!

と、突っ込まずにはいられない。


同じ強さ(エネルギー)の幸せを受け取るにしても、

普通の人の体は100受け取るなら
私は1000ぐらい受け取ってしまうのでは!?


と言わんばかり。


とまあ、

体の感度と耐久力ゆえに
受け取り拒否になってしまうなら、
そこは、肉体を持っている人間の仕様です。

恐怖は、生命もとい肉体を守るための要素もあるので、出てくるのは当然。

自分の体や気質と
どうにかして
うまく付き合っていくことです。

そのための

「よくわからないけど」(恐怖消し)

「後で倒れてもいいから」(恐怖消し)

なのです。