私が書こうと思ったことが書かれていて、心動きました。
私は何かされてもしょうがない人間だ
 
とか
自分ではわからないけど他人に攻撃される
何かがあるのかもしれない
 
 
やられてもしょうがない
 
なんて一瞬でも思ってはいけない。

 
これは人間関係だけじゃないですが

 
自分の命が奪われる
(体の命とハートの命)
を許可しなかったら取られません。
 
しっかりそこを決めておくこと。
 
これは相手に抵抗するってことじゃなく
自分へのもともとの
大切な価値づけです。
自己肯定感です。
 
 

誰かがヒソヒソ話をしていると
自分のことを言ってるんじゃないか?

 
と思ってしまう人、
(真面目な人ってことです)
いらっしゃると思います。

 
明らかに理由がないような時でも

何か私にダメなところがあるからかな、
とか
何もないのに攻撃されるようなものを
私は持ってるんだろうか、 

 
と考えがちな方、

 
捨てちゃってください。

(記事の引用ここまで)


いじめは、いじめるほうに問題があり、いじめられる方は悪くない、っていうのは、ただの綺麗事です。

私自身、小学校時代は言葉の暴力を浴びていじめられていたのですが、

いじめ=物理的なものと思い込んでいて言葉の暴力を知らない→自分がいじめられていたと自覚がない

親に「変な子」扱いされ愛着障害だったので、私は変な子扱いされたり無視されたりからかわれたり馬鹿にされる者だと思っていた

というのが、言葉の暴力浴びまくった原因だと、今ならハッキリわかるのです。

当時は、自分が傷ついていたことすら自覚していなかったのですが、暴言の数々とそれを吐いた人たちの名前ははっきり覚えているので(顔は見ないから覚えていない)、潜在意識レベルでは傷ついていたことは明らかでした。


そう、

私はいじめられたり、変なことされたり、ぞんざいに扱われてもいい、って心の奥(潜在意識)で許可しちゃってるから、いじめられてしまうのです。

許可しちゃってるから、いじめられても全力で抵抗できずに受け入れてしまうのです。

いじめられる人って、先生にちくらない人、大人しそうな人が選ばれやすいんですが、その「大人しそうな人」って、まさに上に書いたことされてもいい、って許可しちゃってる人。

人によっては、私はダメな子だから、どんなひどい扱い受けても、私に構ってくれるから嬉しいというマインドすら持ってそうな人もいて、泣けてきます。
こういう人って、いじめ以外にも家族に暴力振るわれてる可能性も…


では、逆に、

私はいじめられたり変なことされたりするのは一切許しません!

私は大切に扱われること以外許しません!

と、心の底から(潜在意識レベルで)思っていたらどうなるかというと、

いじめられそうになった時点で、自分を守ろうと、ガードに入り激昂するはずです。


そもそも「私は大切に扱われないの禁止」って人は、あの人に手出したら大変なことになるっていうオーラが勝手に出て、いじめマインド持ってる人と真逆なので、いじめッ子は近づくことすらできないでしょう。



いじめをなくすにはどうすればいいか?

って聞かれたら、私はこう答えますね。


全ての人が、自分自身を大切にして、
「自分を大切に扱わないことを許可しない」と決めれば、
それだけでいじめは無くなります。

このためには、全ての人が、家とかで自己肯定感を養い、心の安全基地を持つ必要がありますがね。


いじめは、日本の村社会マインドがある限りなくならない、って意見を見ますが、違うんですよ。みんなが自己肯定感を持てばいじめは無くなります。

いじめられた経験がある方は、全てをいじめっ子のせいにせず、いじめっ子に恨みを向ける暇があるのなら、自分がいじめられることを許可していたからいじめられたんだ、と、しっかり自分の責任として受け止めることが大切です。その上で、自己肯定できるようしっかり自己対話を積み重ねてください。

厳しいことをいいますが、いじめを乗り越えて幸せに生きるにはこれが唯一の方法です。