ボクシングのカウンターって知っておるかのぅ?
相手が殴ってきたのに合わせて、殴り返すのがカウンターじゃ。
こうすると、相手は無防備だし、
パンチを出した勢いがついちゃってるので
与えるダメージ倍増なのじゃ。
良い子は会社の上司を殴りたくても使っちゃだめだど。
でな、話はすっ飛ぶが、アメリカという国は
どうやらこのカウンターが大好きらしいのじゃ。
なんのこっちゃわからんじゃろ?
まぁまぁ話はここからじゃ。
わしが言っておるのは、友達同士の喧嘩の話ではない。
国と国との戦争の話じゃ。
アメリカって国は、皆さんご存知、民主主義大好き。
自由・平等大好きな国じゃな。
それが本当かどうかは少々疑問だが、
彼らは戦争をする時に、国民の賛成を得ようとするのじゃ。
国民の賛成が得られないまま、戦争に突入すれば
その戦争を起こした大統領は次の選挙で落選してしまうからの。
つまり国民の支持を得てから、相手を殴りたい国なのじゃ。
しかし、どんなにアホな人々でも、
意味なく「戦争をやりたいっす!」って言われたら
そら賛成できないわな。
そこでアメリカって国は、相手に先に殴らせるのじゃ。
するとあら不思議!
「善良な僕たち(アメリカ人)を殴ってくるなんて、あいつらひどいのら!」
つって戦争賛成ってムードが盛り上がるのじゃよ。
彼らは喧嘩したい相手がいると、相手にちょこんと殴らせ、
自分らはダンプカーで突っ込むくらいの乱暴者じゃ。
今までにやってきたアメリカの戦争は、ほぼ全て
そうやってきたのじゃ。その証拠を少し挙げてみよう。
第二次世界大戦では、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃することを
暗号を解読して、とっくの昔に知っていたのに、
知らんぷりして、わざと攻撃させ、最後には人体実験のために原爆使った。
ベトナム戦争では、トンキン湾にアメリカが偽装船舶を浮かべ、
自ら攻撃。ベトコンが攻撃してきたと自作自演してベトナム戦争を始めた。
イラク戦争では911テロの犯人といわれるアルカイダが、
イラクのフセインとつるんでいるとデマを流し、
大量破壊兵器があるとあおって、ボコボコにしたが証拠はなし。
そもそもアルカイダはシーア派、フセインはスンニ派なんだから
つるむはずがない。
とまぁ、こんな風に、彼らは自作自演してまで
「だってあいつらが先に殴ったんだもん!」とか言うのじゃ。
まるで甘やかされた末っ子みたいじゃな。
キーワードは自作自演じゃ。
誰もがアルカイダがやったと信じておるあの事件も、
本当にそうなのか?と疑ってしまいたくなるのぅ。
ある人が言った有名な言葉がある。
「噓は大きいほど、人は信じる」
噓が大きいと、それが噓だなんて
人は思いたくないし、信じたくないのじゃ。
だってそれが噓だと分かってしまったら、
いままでそれを信じてきた自分がみじめに思えるからじゃ。
ちなみにな、
この言葉を言ったのはアドルフ・ヒトラーじゃ。
みんな~滅亡してる~?
いえーい!
マヤ歴によると、本日は人類滅亡の日なんだとか。
つーかこのブログは誰にも読まれないはずなのじゃ。
だって滅亡してるんだから。
それでもこのブログを読んでいるというあなたは、
大地震であっちもこっちも、すっちゃかめっちゃかになり
窓ガラスが割れ、天井は落ちてくるわ、
タンスが倒れてくるわ、洗濯物は乾かないわで、
もうヤケクソになってこのブログを読んでいるに違いない。
ところで、わしは神は信じない。
紙はないとおトイレで困るが、
神はいなくても一向にかまわん。
ていうか、わしは今までの人生で
神に助けてもらって生きてきた記憶がない。
ぜんぶわし自身の努力で成し遂げ、
イヤなことも自分の選択でそうなったと思っとる。
いわゆるキリスト教的な意味での神は信じないのだ。
しかしわしは宗教がわりと好きじゃ。
それは学問として、道徳として、美術として好きなんじゃ。
日本人に多い「宗教こわ~い」みたいな考えは、わしにはない。
そもそも宗教=こわいって言ってる人の
どれほどが宗教について、ちゃんと知ってるのか?
知らんのに「こわ~い」とか言うのは
ただの差別だからこまるのぅ。
(ちなみにカルト宗教の現世利益は嫌いじゃ)
わしから言わせてもらえば、無宗教とか言ってる人間の方が
よっぽど「こわ~い」のじゃ。
言っておくがヒトラーも、レーニンも、毛沢東も、クメールルージュも
みーんな無宗教だが、大虐殺を行ったど。
戦争は宗教対立で起こるのではない。
これ勘違いしがちなんだが、「差別」で起こるのだ。
「あいつらより、おれらが正しい」とか
「あいつらは野蛮だ」とか
そういうのは全て差別意識であって
宗教に従ってそうなっているのではない。
言い換えれば宗教は利用されているだけじゃな。
で、話は戻るが
わしは一神教には、それほど興味もないし、
共感もできない。
よーするに、この世のどっかに神様がいるって考えじゃな。
「んなアホな」と思ってしまう。
「おとぎ話か!」とツッコミも入れたくなってしまう。
わしが考え方として、共感できるのは
どっちかっていうと仏教と神道じゃ。
わしゃやっぱ日本人だからな。(本当はフランス人とカナダ人のハーフじゃがな)
だから仏教と神道には「なるほどな~」と思うことがおおい。
だからこの世は無だと思う方がすっきりするのじゃ。
昔ブッダという、偉いおっさん(青年か)が
村人に相談された。
村人「何をやってもうまくいきません!ブッダさん!どうすれば?」
ブッダ「木になりなさい」
村人「はぁああ?」
ブッダ「木は何も気にしません。雨が降っても気にしません」
わしはこの有名な会話を聞いて、勝手にこう思う。
所詮この世の悩み事などは
「あると思うからある」「ないと思えばない」のだと。
ということで、
本日はみなさん人類滅亡中で大変ですな。
地面がひび割れたり、電柱が倒れてきたりで大変でしょうが、
木になってやり過ごすといいかもしれませんな。
いえーい!
マヤ歴によると、本日は人類滅亡の日なんだとか。
つーかこのブログは誰にも読まれないはずなのじゃ。
だって滅亡してるんだから。
それでもこのブログを読んでいるというあなたは、
大地震であっちもこっちも、すっちゃかめっちゃかになり
窓ガラスが割れ、天井は落ちてくるわ、
タンスが倒れてくるわ、洗濯物は乾かないわで、
もうヤケクソになってこのブログを読んでいるに違いない。
ところで、わしは神は信じない。
紙はないとおトイレで困るが、
神はいなくても一向にかまわん。
ていうか、わしは今までの人生で
神に助けてもらって生きてきた記憶がない。
ぜんぶわし自身の努力で成し遂げ、
イヤなことも自分の選択でそうなったと思っとる。
いわゆるキリスト教的な意味での神は信じないのだ。
しかしわしは宗教がわりと好きじゃ。
それは学問として、道徳として、美術として好きなんじゃ。
日本人に多い「宗教こわ~い」みたいな考えは、わしにはない。
そもそも宗教=こわいって言ってる人の
どれほどが宗教について、ちゃんと知ってるのか?
知らんのに「こわ~い」とか言うのは
ただの差別だからこまるのぅ。
(ちなみにカルト宗教の現世利益は嫌いじゃ)
わしから言わせてもらえば、無宗教とか言ってる人間の方が
よっぽど「こわ~い」のじゃ。
言っておくがヒトラーも、レーニンも、毛沢東も、クメールルージュも
みーんな無宗教だが、大虐殺を行ったど。
戦争は宗教対立で起こるのではない。
これ勘違いしがちなんだが、「差別」で起こるのだ。
「あいつらより、おれらが正しい」とか
「あいつらは野蛮だ」とか
そういうのは全て差別意識であって
宗教に従ってそうなっているのではない。
言い換えれば宗教は利用されているだけじゃな。
で、話は戻るが
わしは一神教には、それほど興味もないし、
共感もできない。
よーするに、この世のどっかに神様がいるって考えじゃな。
「んなアホな」と思ってしまう。
「おとぎ話か!」とツッコミも入れたくなってしまう。
わしが考え方として、共感できるのは
どっちかっていうと仏教と神道じゃ。
わしゃやっぱ日本人だからな。(本当はフランス人とカナダ人のハーフじゃがな)
だから仏教と神道には「なるほどな~」と思うことがおおい。
だからこの世は無だと思う方がすっきりするのじゃ。
昔ブッダという、偉いおっさん(青年か)が
村人に相談された。
村人「何をやってもうまくいきません!ブッダさん!どうすれば?」
ブッダ「木になりなさい」
村人「はぁああ?」
ブッダ「木は何も気にしません。雨が降っても気にしません」
わしはこの有名な会話を聞いて、勝手にこう思う。
所詮この世の悩み事などは
「あると思うからある」「ないと思えばない」のだと。
ということで、
本日はみなさん人類滅亡中で大変ですな。
地面がひび割れたり、電柱が倒れてきたりで大変でしょうが、
木になってやり過ごすといいかもしれませんな。
どもども、わしじゃ。
誰かって?
だーかーらーわしじゃ。
わしなんだから、わしとしか言いようがない。
と、どうでもいい書き出しはおいといて、
こうみえてもわしは、
普段からいろいろマジメに考えておるのじゃ。
「人生」とか「愛」とか
時々「エロいこと」とかもな。
愛とかっていうのは形が見えないものだから、
いろいろ人によって考え方が違うと思うのじゃ。
だから、わしが考える愛の定義をしてみたいと思うぞ。
まずな、
そもそも愛って何かを定義せにゃならん。
わしはこう思う。
それは無償のもので、なんかふわ~っと
あたたかく包まれるものじゃ。
「こいつなに言ってるんだ?」と思ったそこのあなた!
話はここからじゃ。もう少し付き合うのじゃ。
だってここで読むのをやめてしまったら、
わし、ただただハズカシイおっさんで終わってしまうからの。
でな、
愛っていうのは、生まれる条件があると
わしは勝手に思っておる。
それは自分のためではなく
誰かに与えることでしか生まれないと思うのじゃ。
つまり…
「ぼくちゃん愛されたーい!」
「愛おくれよー!あたい自分が幸せになりたいのよー!」
みたいな考えで、自分が一方的にほしがっても
生まれないものだと考えるのじゃ。
あなたは自分の幸福ばかり願っておらんか?
「コタツから出ないで一生ぬくぬくしたーい」
「誰かお金くれないかな~。8億円くらい」
「なんかエロいことが起こらないかな~」
と、そんなことばかり考えておらんか!?
どーじゃ!耳が痛いじゃろ!
何を隠そう、わしも痛いわ!!
愛が生まれるには条件があり、
えらい遠回りに感じるかもしれないが、
「自分はどうでもいい。この人にあたえたい」
と思った瞬間に生まれるものだと思うのじゃ。
ようするに愛は
「もらうことが出来ないもの」で
「あたえることは出来るもの」なのじゃ。
究極の考え方をすると、
愛がある場合、自分の生命を犠牲にしてでも
誰かを守ろうとするものじゃなかろうか。
そういう大切な存在には、
無償で与えたいと思うはずじゃ。
もしも母親なら、自分の子供を守ろうとするだろう?
意識しなくとも自然に、そうするはずじゃ。
逆に言えば、幼児虐待する親には
愛がないと言ってしまってもいいかもしれんな。
そんな親は、大人のくせに、まるで子供じゃ。
「自分がほしい」「自分がハッピーになりたい」
としか思ってないのだから、愛が生まれるわけないな。
話は変わるが、わしは子供ってのは
「愛」を生み出せない、まだ修行中の存在だと思っておる。
子供は生まれた時は、まだ言葉も知らない。
お腹が空けば、ぎゃーぎゃー泣き叫び、
どこでも大声ではしゃぐ。
本能で生きているのだから、当たり前じゃな。
わしはまともな大人になるためには、
ある程度の修行が必要だと思うのじゃ。
だから子供は「愛」の生み出せる大人になるために、
毎日修行をしておると思うのじゃ。
言い換えればそれがシツケかもしれんな。
さて、こっぱずかしい話はこれくらいにして
さっそく届いたばかりのコタツを組み立てて
引きこもるとしようかの。
だってあったかいんだも~ん!
コタツ超すき!
誰かって?
だーかーらーわしじゃ。
わしなんだから、わしとしか言いようがない。
と、どうでもいい書き出しはおいといて、
こうみえてもわしは、
普段からいろいろマジメに考えておるのじゃ。
「人生」とか「愛」とか
時々「エロいこと」とかもな。
愛とかっていうのは形が見えないものだから、
いろいろ人によって考え方が違うと思うのじゃ。
だから、わしが考える愛の定義をしてみたいと思うぞ。
まずな、
そもそも愛って何かを定義せにゃならん。
わしはこう思う。
それは無償のもので、なんかふわ~っと
あたたかく包まれるものじゃ。
「こいつなに言ってるんだ?」と思ったそこのあなた!
話はここからじゃ。もう少し付き合うのじゃ。
だってここで読むのをやめてしまったら、
わし、ただただハズカシイおっさんで終わってしまうからの。
でな、
愛っていうのは、生まれる条件があると
わしは勝手に思っておる。
それは自分のためではなく
誰かに与えることでしか生まれないと思うのじゃ。
つまり…
「ぼくちゃん愛されたーい!」
「愛おくれよー!あたい自分が幸せになりたいのよー!」
みたいな考えで、自分が一方的にほしがっても
生まれないものだと考えるのじゃ。
あなたは自分の幸福ばかり願っておらんか?
「コタツから出ないで一生ぬくぬくしたーい」
「誰かお金くれないかな~。8億円くらい」
「なんかエロいことが起こらないかな~」
と、そんなことばかり考えておらんか!?
どーじゃ!耳が痛いじゃろ!
何を隠そう、わしも痛いわ!!
愛が生まれるには条件があり、
えらい遠回りに感じるかもしれないが、
「自分はどうでもいい。この人にあたえたい」
と思った瞬間に生まれるものだと思うのじゃ。
ようするに愛は
「もらうことが出来ないもの」で
「あたえることは出来るもの」なのじゃ。
究極の考え方をすると、
愛がある場合、自分の生命を犠牲にしてでも
誰かを守ろうとするものじゃなかろうか。
そういう大切な存在には、
無償で与えたいと思うはずじゃ。
もしも母親なら、自分の子供を守ろうとするだろう?
意識しなくとも自然に、そうするはずじゃ。
逆に言えば、幼児虐待する親には
愛がないと言ってしまってもいいかもしれんな。
そんな親は、大人のくせに、まるで子供じゃ。
「自分がほしい」「自分がハッピーになりたい」
としか思ってないのだから、愛が生まれるわけないな。
話は変わるが、わしは子供ってのは
「愛」を生み出せない、まだ修行中の存在だと思っておる。
子供は生まれた時は、まだ言葉も知らない。
お腹が空けば、ぎゃーぎゃー泣き叫び、
どこでも大声ではしゃぐ。
本能で生きているのだから、当たり前じゃな。
わしはまともな大人になるためには、
ある程度の修行が必要だと思うのじゃ。
だから子供は「愛」の生み出せる大人になるために、
毎日修行をしておると思うのじゃ。
言い換えればそれがシツケかもしれんな。
さて、こっぱずかしい話はこれくらいにして
さっそく届いたばかりのコタツを組み立てて
引きこもるとしようかの。
だってあったかいんだも~ん!
コタツ超すき!