以前今村仁司の先見性ということを書いた。この本が発売された頃も「群衆」と言われても「人混み」くらいにしか表象できなかった。当時はわりと賑やかな土地に住んでいたので逆に「人混みがない街」というのがイメージできなかったのだ。いまの住居は無茶苦茶人通りの少ないど田舎(限界集落)なので駅前通りの人混みですらウザいと思うようになった。

 というわけで、当時は「人混み」を「モンスター」などと形容するのはいかにも剣呑だと思う程度だった。本書が出版されたのは1996年。つまりインターネット元年と言われるWindows95が発売された翌年である。つまり、この頃に「ネット住民」という新たな「群衆─モンスター」が生まれたのだ。当時今村仁司が勤めていた東京経済大学ではもちろんコンピューターの導入(昔はOA化などといわれていた)は早かっただろう……とネットで調べ始めたら今村仁司がすでに物故していることを知る。ゔぉえええええ? しかも2007年、65歳で??? 『現代思想のキイ・ワード』は俺の青春だったと言っても過言ではないのにぃぃ。俺の青春を返せ!(わけわからん)。

 

 落ち着け、俺。

 

 そういや以前に「今村仁司っていまどんな本出してるのかな」と調べたら浄土真宗系の仏教の本を出してて、梅原猛などを思い出しつつ「みんな日本回帰しちゃうんだよなあ」「大菩薩峠がどうとかいう本も出してたし」とか思ったものだった。それは自身の死を意識しつつ書いたものだったのかもしれない。

 

 感傷はこれくらいにして。

 

 件のWindows95の発売から5年後、西鉄バスジャック事件が起こる。あれはまさに「モンスター」による犯行だった。いや、あの犯人自体はもともとはモンスターではなかった。犯行の直接のトリガーは2チャンネルでの「キリ番踏み」に失敗したことだった。もともと問題をかかえていたとはいえ、彼をモンスター化させる契機になったのは匿名名無しのネット民=群衆だった。彼を煽った人物は特定されているようだが、彼の主観からすれば群衆=ネット民注視のもと恥をかかされたというのは耐え難い屈辱だっただろう。自分ならビビって掲示板を閉鎖していた所だが、2ちゃんねるの管理人はその後もメディアで活躍を続け現在も「論破王」としてテレビで不特定多数の視聴者=群衆の前で論敵に屈辱感を与えることだけに特化した活動をしている(彼の言動によって何か世の中が良くなった、というような事例は一つでもあっただろうか)。

 

 西鉄バスジャック事件の犯人は本書で語られるフランケンシュタインの怪物=2ちゃんねるの群衆をつぎはぎして作られた怪物だった。

 

 てなことを書いているウチに沖縄で数百人の若者(群衆)が警察に投石などをする騒動が起こった。

 

若者数百人、沖縄署に投石高校生事故、SNSで拡散

 

 事実関係はよくわからないけど成人式にド派手な格好で乗り込むようなオラオラ系の若者が「ワイの可愛い舎弟が警官にボコられて眼球破裂したえーん バチキかましたるムキー」とかなんとかいう煽りをネットに流したのかもしれない(あくまで想像)。

 

 「暴力(のオントロギー)」もまた今村仁司がこだわり続けた概念で、しかし当時はその指示対象がよくわからなかった。いまそれが暴力的に現実化しつつある(っていうかまあ今回の暴動の遠因はコロナ禍下のストレスなんだろうけど)。

 それが戦時中は大日本帝国の、戦後は日米安保という秩序のために犠牲になり排除(第三項排除)され、かつ”ちゅら海”とかいって聖別化された沖縄という土地で起こったことは全て今村仁司が駆使したキイ・ワードで解釈できる。

 

 今村仁司って予言者?