最近経済本を固めて読んでいるのは「近頃流行りの(2〜3年前?)MMTにキャッチアップしたい」とか「がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか」とかいった疑問によるものではない。

 「経済学者という人種はなんであんなに偉そうで性格が悪く、かつ何の成果もあげていないんだ」と思ったからだ。

 

 具体的には例の「さざ波」発言で内閣官房参与を辞任した例の人だ。

 

 経済学者というのは難しい数式を操る数学者である一方で大衆(経済主体)の心理を読み解く心理学者でなければならないと思うのだけど(ええ、いまパソコンの横に次読もうと思ってる行動経済学の本が積まれてますよ)、彼等は大概自身の学説を理解しない大衆(経済主体)をバカにする傾向にある。

 

 「あーそうだよ俺はバカだよ、バカだからお前の言うことは信じねえ」という心理になる。

 

 で、かつてバカ売れしたというこの『デフレの正体』の評判を知ろうとネットを調べるとまさに例のその人が「デフレの正体」信じる愚劣という一文を書いていた。

 

 論者だけでなく読者(ここでは菅直人)まで愚劣扱いしてて性格悪っ。

 

 この本は彼だけではなく経済学プロパーから激しい批判に晒されていたようで、Googleに「デフレの正体」と打ち込むだけで「トンデモ」「批判」といった検索キーワードがサジェストされる。

 

 厭味ったらしく経済学者を批判する(経済学者からの批判を想定して予め反論している)部分があったり、それが怒りをかって過剰な反応を招いたのではないかという気がする。講演調のこの本からも伝わる毒舌(持論を展開)が禍いしてかブログのコメント欄でのバトルが原因で訴訟沙汰になったようだ。

 

 自分が買ったのは表紙が黒い黒版(?)だったけど、モロに“「景気」と「空気」に意味はない”という経済学者を挑発するコメントが踊っている。

 

 読めば経済学というよりは社会学の本という感じで、それが「デフレの正体」なのかはわからないけど実感的に納得する所はあった。

 

 自分は本書でいう”団塊ジュニアの中核世代”からはちょっと外れるが、「メーカーが自分たちの世代を狙って商品を出してるな」とオトナたちの思惑が透けて見える事象があった。

 

 十代中盤、卒業という言葉が頭にもたげる頃、尾崎豊や菊池桃子、斉藤由貴が次々と「卒業」という曲を発表した(今ネットで調べたら倉沢淳美も出していた)。

 90年代ほどではないが、ヒット曲がミリオンセラーになることがザラにあった時代、中学生の小遣いでも買えるシングルレコードはレコード会社にとっては大マーケットだっただろう。

 団塊世代の親が建てた家には大概でかいレコードプレーヤー(コンポ)があり、それがなければSONYのカセットプレーヤーでテレビやラジオから流れる曲を録音した。

 その行為自体は経済に寄与してないけど先立って必ずカセットを買っている。

 レコード会社の会議室では「○☓世代が卒業する頃合いを見計らって卒業ソングを出そう」という提案がなされていたはずだ。

 それがどっぱまって「卒業」というタイトルの曲が三曲ベストテン入りするという事態になった。

 世は好景気だったしいい時代じゃった…という感覚はしかし全くなかった。

 その翌年にはアイドルの岡田有希子が自殺し脳漿を散らした現場が写真週刊誌に掲載され、そのうち日航機が墜落して手足バラバラな遺体が散乱する事故現場がやはり写真週刊誌に掲載されうつ状態になった。あの頃、岩波文庫のショーペンハウエル『自殺について』や中公文庫のデュルケーム『自殺論』が本屋で突然売れたはずで、それらを買ったうちの一人が自分だった(文庫本で買えるそのテの本はそれくらいしかなかった)。

 それ以降陰陰滅滅とした学生時代を送るわけで、確かに景気と気分(空気)はあまり関係ないよなあとは思う。

 

 おっさんの懐古はこれくらいにして。

 

 本書をざっと通読して思ったのは「オレオレ詐欺の理論的根拠」または「オレオレ詐欺の実行犯がこの本を読んだら然りと思うだろう」ということだった(藻谷さんごめんなさい何かの間違いでこのブログを見つけても怒らないでください)。

 

 また、ブログでのコメントバトルでの荒れネタになった「三面等価」という言葉を自分はこの本で始めてみた。ネットにある解説を読んでもよくわからない。

 

 経済論争というのはおしなべてこうで、一つの現象を見ているにも関わらず「光は粒子か波か」みたいな相容れない解釈に基づいて互いに理論を立てている。そんな理論的背理を含んだ学問に基づいて政策決定されたらたまったものではない。シュレーディンガーの猫たる我々は生きているのか死んでいるのか決定不能だなんてことあるか…と、いう意味では「三面等価は現状では意味がない」と言い切り(意味わからんけど)実地の駅前の写真から話しからはじめる藻谷氏の主張には説得力を感じる。言葉はアレだけど”唯物論的”だ。1995年ー97年をピークに生産年齢人口が減少に転じ日本が転落を始めたという情況も実感に照らしてわかる。具体的には結婚するつもりでつきあってた彼女と別れてお先真っ暗だった(みんな不景気が悪いんや)。

 

 最後にもう一点、藻谷氏は「ブランド力」を語った第2講で「フェラーリに勝てるか」と言っている。日本のフェラーリと言ったらNSXだけど…まあ、勝てませんでしたね。で、世界で一番売れた日本車は何かと調べたら何とカローラだった(ギネス認定)。日本車というくくり抜きで「世界で一番売れた車」。まあ1966年以来モデルチェンジを繰り返し続いてきたブランドだからというのもあるのだろう。自分は勝手にシビックだと思っていた。

 しかし、販売台数とか抜きで「世界に一番影響を与えた日本車」といったらユーノスロードスターなのではないだろうか。「バブルを象徴する」と形容するにはあまりに小粒で低スペックなこの車はしかし世界にオープンカーブームをまきおこし、BMWやメルセデス・ベンツからもオープンカーが発売された。

 無理筋な「フェラーリに勝つ」を目指すより「和製ロータスエラン」だったロードスターや「貧乏人のポルシェ」と言われたRX-7SA/FC、「和製ジャガーEタイプ」だったフェアレディーZみたいなバッタモンブランド展開の方がよいのではないか。

 「プアマンズポルシェ」は後にRX-7FDという芸術作品のような車に進化して映画『ワイルドスピード』の中でアメリカの市街地を疾走することになる。バッタモンがホンモノになってしまう─これこそ「日本のブランド力」ではないだろうか。

 いや、たぶん藻谷氏の立論を理解しないまま書いてるのだけど。

 

 この稿を書くためにこの本を読み返してたら初見では読み飛ばしていた論件が沢山あった。「三面等価」を理解できるようになった頃にまた読み直したい(いつの事やら)。