いままでいくつかのソクラテスの対話篇やそれに付された解説を読んできたけど、そこでのアルキビアデスの扱いの小ささが不思議だった。キャラクターとしては「BLソクラテスが終生愛した美青年」「後にデマゴーグとなる」、その人生は「波乱万丈」、言動は「破天荒」と言われるのみで、どう波乱万丈・破天荒だったのかという記述が少ないのだ。

 

アルキビアデス近影

 

 ギリシャの歴史を見ると彼はカリスマ政治家ペリクレスのもと絶頂期を迎えていたアテナイを敗戦に導いた戦犯である。本書の巻末の年表を見てみよう。

 

前432年 ポテイダイアの戦い。ソクラテス、アルキビアデスとともに従軍。

前431年 ペロポンネソス戦争勃発。

前427年 プラトン生まれる。

前424年 デリオンの戦いでアテナイ軍敗退。ソクラテス、アルキビアデスとともに従軍。

前415年 アテナイ軍、シケリアに遠征。ニキアス、ラマコスとともにアルキビアデスは指揮官に任命される。出港後、ヘルメス像破壊の容疑で召喚命令を受けるが、ラケダイモン(スパルタ)に逃亡し、対アテナイ戦遂行に協力。この間、王妃と密通し、子をもうけたとも言われる。

前413年 シケリアのアテナイ遠征軍、降伏。ニキアス処刑される。

前411年 アルキビアデス、ラケダイモンの海軍をキュジコス沖で撃破。

      アテナイで四百人政権成立。

前407年 アルキビアデス、アテナイに凱旋。いったん軍事の委任を委任されるも、部下の失策が原因で失脚。トラキアに逃れる。

前404年 アテナイ軍降伏。ペロポンネソス戦争が終わる。アルキビアデス、逃亡先のプリュギアで刺客に襲われ、死去。クレイトポン死去?

前399年 ソクラテス、裁判で死刑判決を受け、刑死。

 

 アルキビアデスは若い頃に二度もソクラテスとともに従軍している。二人の仲はただの師弟関係を越えたものだったことがわかる(もちろんBL関係もあるのだけど)。そしてアルキビアデスの後半生をみるとやっぱり「波乱万丈」「破天荒」あるいは「悲劇の将軍」というふうに見えないでもない。しかしどのような経緯であれ祖国を裏切ってスパルタに寝返った(さらにはかの国の王妃を寝取った)のはソクラテスが説いた「徳」や「正義」に反する行為だ。しかも再びアテナイの将軍に返り咲いてスパルタと戦っているのだからわけがわからない。

 

 ペロポンネソス戦争終了とアルキビアデスの死から五年後にソクラテスは処刑されている。『ソクラテスの弁明』ではそうは描かれていないけどソクラテス裁判の原因は実は戦犯アルキビアデスを教導した製造者責任を問われたからなのではないかという気がしてくる。

 

 となると「アルキビアデス」はプラトンの著作中もっとも重要なものなのではないか。本書はどのような歴史的評価を受けているのか……と、解説から読み始めたらいきなり偽作疑惑が語られていて肩透かしを食わされる。確かに常に対話相手を煙に巻いて積極的に自説を語ることは少ないソクラテスがここでは積極的に徳を身につけろと説教したり当時その概念があったかどうか不明の「ヨーロッパ」という言葉がでてきたり違和感を感じる部分はある。「無知の知」「汝自身を知れ」などよく知られたソクラテスの教えや対話のテクニックを整然と並べたてたパスティーシュであるようにも思える。

 

 しかし、仮にこの短い対話篇がプラトンの手によるものでなかったとしても、書き手の意図は明らかだ。

 

 それはソクラテス擁護である。

 

 つまり、ソクラテスは若きアルキビアデスに対してペルシアやスパルタの強大さを教え無用な戦は避けるよう諭し、自らの徳を見本としてアテナイ人を導くような政治家になるべきだと説いた。しかし彼にはそんなこと馬耳東風だったのだと。プラトンが『饗宴』の中でアルキビアデスにソクラテスとは肉体関係は無かったと言わせているのも遠回しであれ同じような企図があったように思える。要はソクラテスはアルキビアデスをストーカー的に追い回していたけど本当に愛してはいなかったのだと。

 

 このような仮説に立つとソクラテスのアルキビアデスに対する感情はボーイズラブ(おっさんずラブ)というだけではないアナザースカイがあったのではないかと思える。

 

 本書の表紙には一九世紀の新古典派の画家ジャン=バプティスト・ルニョーによる「快楽の腕からアルキビアデスを引き離すソクラテス」という絵画が掲げられている。

 

 

 娼館らしき場所から憤然とアルキビアデスを連れ出そうとするソクラテスが描かれている。この絵を表紙に掲げたのはこの場面の後に「アルキビアデス」篇の対話(実質アルキビアデスへの一方的お説教)が始まるんですよ、ということをほのめかす趣向なのだろう。ひねくれた見方をすれば下等な異性愛に婬しているアルキビアデスを見たソクラテスが嫉妬に狂って「この泥棒猫!ムキー!」とか言いながら愛する美青年を自らのおっさんずラブワールドに引き戻そうとしているようにも見えるが。

 

 何れにせよ我々凡庸なヘテロセクシャルから見ればどうにもアホっぽい図ではある。しかし実はこの絵からアルキビアデスが如何なる地位の人間であったかわかるようにもなっている。

 

 別の画家が同じようなシチュエーションを描いた「アスパシアの家にアルキビアデスを探しにきたソクラテス」(ジャン=レオン・ジェローム画)という絵がある。

 

 

 この「家」の主のアスパシアとは異国から来た才色兼備の高級娼婦で、彼女はアテナイのカリスマ指導者ペリクレスの愛人だった。また、ペリクレスはアルキビアデスと親戚関係にあり、若くして父を亡くしたアルキビアデスの後見人であった。対話の中でも青年アルキビアデスがペリクレスの威光をもって将来を嘱望される若者という評価を得ていることや彼自信の自信過剰の原因になっていることが述べられている。アルキビアデスが(おそらく顔パスで)高級娼館に入り浸っていたのもやはり後見人ペリクレスの後ろ盾があったからだろう。

 

 対話篇の中のアルキビアデスの年齢設定は十九歳。ギリシャ史においてはアテナイに繁栄をもたらしたデロス同盟の均衡を崩すペロポンネソス戦争がはじまった年である。ソクラテスは対話篇の冒頭でこう述べている。

 

 ソクラテス クレイ二アスの息子よ、思うに君にいちばん最初に君に恋した僕が、他の連中が諦めてしまった今になってもまだ、一人だけつきまとっているのをさぞ不思議に思っているだろうね。それにまた、僕以外の連中は君と口をきこうと大挙して君を煩わせていたのに、僕はといえば何年ものあいだ話しかけようともしなかったことについてもね。

 その理由は、人間にあるものではなくて、何か神様のようなものによる反対にあるのだ。その力については、君は後で耳にすることになるが、それも今はもう反対していないので、僕はこうしてやってきたというわけだ。僕には、今後もそれが反対することはないだろうという見込みが多きにあるのでね。(p.10)

 

 普通に読めばソクラテスは恋の駆け引きによってアルキビアデスと距離をとっていたが(あるいはストーカー禁止法にひっかかって三百メートル以内に近づくことを禁止されていたか)、それは神託によるものだったと神秘化(正当化)しているだけなように思える。また、訳者の解説ではソクラテスがアルキビアデスを教育する「機は熟せり」と判断したからだとしている。

 

 しかしここでソクラテスが言う「何か神様のようなもの」とは訳者が解説で述べているような「ダイモーン的なもの」などではなくアルキビアデスの後見人のペリクレスだと仮定したらどうか。ソクラテスはかつて戦場で負傷したアルキビアデスを助けた恩人である。しかし何らかの理由であまりソクラテスと関わらない方が良いとペリクレスは判断し、距離をとらせたのではないか。そしてペロポネソス戦争がはじまりアルキビアデスがアテナイの民会に参加する年齢に達しようとしているとき、娼館に入り浸っているやんちゃ坊主を娑婆に引き戻し彼をマトモな政治家として育て上げるようソクラテスに頼んだ(或いは許可した)のではないか。

 

 これはもちろんただの想像にすぎない。しかしこう解釈すれば一見ただソクラテスの気まぐれな恋の駆け引きを描いているだけのように見える「導入部」も後のアテナイの運命を左右する歴史的選択を描いた重要なシーンとなる。このときソクラテスがアルキビアデスを娼館浸りのポンコツのままにしておいたら休戦(冷戦)状態にあったペロポンネソス戦争の趨勢はどうなっていたのか?

 

 ていうか、そもそも、戦争再開はなかったのではないか。

 

 本書はこの「アルキビアデス」と同じく偽作疑惑がある「クレイトポン」を収録することで後のアルキビアデスの行動を予見させるような構成になっている。

 

 掌編「アルキビアデス」よりさらに短い「クレイトポン」はソクラテスが弟子から「あんたは正義や徳の尊重を勧めるけどその正義や徳の中身は空っぽやないかい」と論難されるもので、その後に続くべき“ソクラテスの弁明”もなく作品が終わってしまうという問題作だ。そしてクレイトポンが教えを乞うようになった教師は『国家』で「正義とは勝者の正義だ」と主張した“リアリスト”トラシュマコスであった。

 

 訳者は解説のなかでアルキビアデスもソクラテスとの関わりの中でクレイトポンのような疑問にぶち当たったのではないかと想像している。何れにせよアルキビアデスが「カメレオン」と呼ばれた破天荒な人生を送ったのは単に彼個人の資質に起因するものであるような気もするが(ソクラテス擁護)。