司馬遼太郎(と週刊朝日)はつくづく良い企画を思いついたよなと思う。別に司馬遼太郎に興味はなくても自分が住んでる地元が取り上げられていたらこうしてついうっかり買ってしまう。全四十三巻ある「街道をゆく」の地域ごとの売上の偏差を調べたら面白いと思うのだけど、自分が思いつくようなことは既にたぶん誰かがやっているだろう。

 

 最初に目次を眺めたらあまり三浦半島とは関係がなさそうな「ミッドウェー海戦」という項目があったのでそこから読み始めた。するとGHQの戦史室長で『ミッドウェーの奇跡』という本を書いたゴードン・W・プランゲという名前が出てきた。江藤淳が「WGIP」を発見(発明)したという“プランゲ文庫”のプランゲだ。が、司馬はここではプランゲ文庫に関しても、検閲についても、WGIPについても一切語っていない。

 

 もちろん文脈上それを出す必要がなかったから出さなかったのだろう。たとえば本書の中で司馬氏は久里浜にあるペリー公園を訪ねているのだがそこにある記念碑は太平洋戦争中は撤去されて(倒されて)いた、といったトリビアルな事象も書かれていない。

 

 しかしプランゲの業績については“同教授の数十年にわたる研究の結果、「真珠湾攻撃はだまし討ちの意図はなかった」という結論が引き出され、いまではアメリカの戦史研究の定説になっているという”と好意的に紹介されている。そこから“江藤淳による占領期の検閲研究のソースになったのはプランゲ博士が残したプランゲ文庫である”と続けてもよかったはずだ。

 

 司馬遼太郎が三浦半島を旅した一九九五年頃、江藤淳の占領期研究など全く注目されてなかったのだ。

 

 同じ一九九五年に出版された岡田斗司夫『ぼくたちの洗脳社会』の解説の中で小林よしのりは“すでに日本はアメリカ GHQの占領政策で戦争に対する罪悪感を植えつけられた、まさに洗脳社会でもあるわけだ。ウォー・ギルト・イソフォメーション・プログラム(WGIP)と いうらしいが”と述べている。「らしい」と正直に書いているが、マンガの中でとりあげている小林よしのり自身その実体をよくわかっていなかったのだろう。次に続くのは“今、日本人があまりに当然のことと思っている「戦争は悪」「世界は平和を望んでいる」という観念すらも、GHQに洗脳された新聞など各メ ディアや日教組が、さらに戦後の人々に必死で刷り込んだ洗脳情報でもある。”といった今もウヨブログや保守言論誌で良くみる定型句だ。

 

 最近読んだ矢部宏治の本で思い至るようになったのだが、「戦争は悪」としたのはGHQ(や日教組)ではなく第一次大戦後にできた国際連盟である。連盟脱退前は日本もそれをわかっていたので満州“事変”、ノモンハン"事件”などと"戦争”という言葉を避けていた。第一次大戦以降の国際社会の中で、戦争は犯してはならない犯罪だったのだ。

 

 そして連盟脱退後、日本はアメリカに対して犯罪行為である戦争をしかけた。

 

 戦後GHQが行ったのは江藤淳が訳したように「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」とやらではなく「戦争は犯罪であることを日本人に周知させるための教育プログラム」だったのではないか。

 

※ ウィキペディアで確認したらWGIPを“発見”したのは江藤淳ではなくアメリカの研究者が彼にその存在を教えたようだ。教えられたのが江藤淳ではなくもっとマトモな歴史研究者だったら現在のような「WGIP神話」は生まれなかっただろう。また、もし仮にそのときプランゲ博士(1910〜1980)が存命だったら「ミスター・エトウ、それは違うよ」とたしなめていたかもしれない。