フェイクニュースが横行しそれに基づく炎上現象が起こりがちなネットに対してファクトチェックが効く活字メディアの重要性が活字メディアの方から叫ばれている。しかし新聞もその普及期にフェイクニュースに基づく炎上現象を起こしていた。それがドレフュス事件だ。

 

 本書は『暴力論』の思想家ソレルは同時代に起きたドレフュス事件に決定的影響を受けたという視点か書かれたもので、日本では馴染みの薄い思想家・事件の概要を知ることができる。一冊で二度美味しい新書である。

 

 日本人にとってドレフュス事件が馴染みが薄い理由のひとつは日本にはユダヤ人差別が存在しないことだろう。最近日本では杉浦千畝を「日本のシンドラー」としてプッシュする風潮があるけど、ヘタすりゃ自分も収容所送りになってたかもしれないシンドラーと日猶同祖論があるほど親猶的だった日本におけるそれでは美談の質が違うと思う。

 

 しかしユダヤ人を「在日」と入れ替えればいま同質の差別感情が顕在化している。ネット右翼の気に入らないことをすれば保守系の政治家であってもネット上で在日認定・スパイ認定される。

 

 『ソレルのドレフュス事件』を読むと当時のフランスの状況がいまの日本と驚くほど似ている。ソレルの警告───大衆が独裁者を望み、民主的手続きを経て専制に至るという民主主義のパラドクスはいま現在進行中だ。各所に挿入される著者による政治的箴言も当を得ているように思われる。

 

 しかし後半に読み進むうちにビビビビビと頭髪の一部が立ち上がってきた。

 

 

 これは………ウヨアンテナ?

 

 「まさか」というより「またか」と思いながら「川上源太郎 つくる会」というキーワードで検索したら初期つくる会の賛同者のリストがヒットした。

 

 

 ウヨアンテナの感度良すぎ。

 

 川上源太郎の専門はウェーバー研究であるようだ。同じくウェーバー研究者の姜尚中はいまでは左翼扱いされているけど昔はウェーバーといえば反共保守政治学者御用達だった。肩書きは清泉女学院大副学長とあるが、膨大な著作リストを眺めていたら『親の顔がみたい』という本が目にとまった。

 

親の顔がみたい (1981年) (角川文庫) 親の顔がみたい (1981年) (角川文庫)

 

Amazon

 

 あーこの本覚えてるわー。当時は『なんとなくクリスタル』から『オールナイトフジ』に至る女子大生ブームの勃興期で、それについていけないおっさんのボヤキ節なんだろうなと思ってた。

 

 それはさておき、この本を読んでいてウヨアンテナが反応したのは「ドレフュス事件はバカな大衆の空騒ぎによって大事になったが、釈放運動を行った知識人や政治家だってバカな大衆を扇動してそれを政治ショーにした」みたいなシニカルな❝どっちもどっち❞論に対してだ。いや、無実のドレフュスさんが釈放されたんだからそれでええやん。

 

 そういや今はポピュリズムというと「大衆迎合して差別や排外主義を煽る右翼政治家」に対して使われるけどこの本が出た一九九〇年代頃は「大衆迎合して消費税に反対したり反原発運動を煽る左翼政治家(ていうか社会党)」という意味で使われてたよな、と思い出す。

 

 その頃は石原珍太郎がテレビで共産党をスパイ認定したら抗議の電話が殺到した時代じゃった。

 

ゆうきまさみ『はてしない物語』より

 

 まあ「殺到」はしてなかったのかもしれないけど。

 

 昔は少数派だった石原珍太郎みたいな政治家や言論人が今は大量発生して大衆的な人気を得ている。世の中の変わりようについていけないしついていく気もない。今のヨノナカ絶対間違ってるよ(ボヤキ節)。

 

 翻ってこの本はソレルやドレフュス事件をダシにして一九九〇年代中盤頃の日本の政治状況、つまり自社さ連立政権下の政情に対する保守派のボヤキ節なのではないかと思えた。

 

 そしてソレルがドレフュス釈放を求める署名運動にうっかり署名してしまったことを後悔していた、という下りを読んでそれは確信に変わった。

 

 「つくる会」は東京裁判の判決は冤罪であり日本の名誉を回復せよと主張した。本人たちの主観ではドレフュス事件においてエミール・ゾラが果たした役割をかって出たのだろう。

 

 この本の執筆時期と著者が「つくる会」の呼びかけに賛同のサインをした前後関係は不明である。しかし(左翼に洗脳されている所の)大衆の政治的傾向に棹さしたつもりの「つくる会」があっさり大衆に受け入れられてしまい、しかも運動自体が中島みゆき『世情』メソッド※をきれいにトレースして内ゲバ・セクト闘争をはじめたのを見たとき、まともな感覚を持っていたら賛同の署名したことを後悔したはずだ。あくまでまともな感覚をもっていたら、のハナシだけど。

 

 ううう…「つくる会」ヘイトを書き出したら止まらない。

 

 何れにせよ敬遠していたソレル『暴力論』はいつか読んでみたいと思いました。

 

※ 変わらないものを何かに例えてそのたび崩れちゃそいつのせいにする