DEWを脱退した洪栄龍(ギター。元ビッキーズ、ブラインド・レモン・ジェファーソン)は、1971年2月に、松吉久雄(ボーカル。元ブラインド・レモン・ジェファーソン)、猿山幸夫(ベース。元ブラインド・レモン・ジェファーソン)、矢島敏郎(ドラムス)とともに「乱魔堂」を結成します。「乱魔」とは、メンバーやバンドを聴きに集まる聴衆の感情や想像力や肉体などの可能性の状態を示す言葉で、「乱魔堂」というバンド名は、そういう人たち(乱魔童)が集えるほこら(乱魔洞)という意味も込められています。1971年3月は岐阜、5~6月は京都のキャッツ・アイという店で演奏しました。乱魔堂のレパートリーの多くは、この京都生活の間に作られました。上村律夫(元ブラインド・レモン・ジェファーソン、ブルース・クリエイション)がマネージャーになります。彼が、はっぴいえんどのマネージャー石浦信三の音楽事務所「風都市」に加わったことから、乱魔堂もその所属になりました。風都市がマネージメントしていた渋谷のロック喫茶「BYG」地下1階のライブスペースに1971年7月頃から出演するようになります。乱魔堂の強化メンバーとして、告井延隆(ギター。元DEW)と上村律夫(キーボード)が参加します。1972年8月1日にアルバム「乱魔堂」を発表します。6月に山崎隆史(ギター。元ブルース・クリエイション、頭脳警察)が加わり5人編成となります。同年末で解散し、バンドは「雪童子」と「フライ」に分裂します。告井延隆は、名古屋に帰り、1973年に「センチメンタル・シティ・ロマンス」を結成します。
乱魔堂
1972年8月1日
POLYDOR
1 ちぇ!
2 ひたすら
3 出発
4 恋の赤電話
5 風がぴゅー・ぴゅー
6 写生
7 可笑しな世界
8 一握りのブルース
9 何の為に
1971 SUMMER
1989年11月25日
URC(KITTY)
1 馬鹿な男
2 百面相
3 二人のブルーズ
4 一握りのブルーズ
5 何の為に
6 一日中
7 前へ上へ
8 クロスワード
9 可笑しな世界
10 クツは白い
1972春一番
2006年5月2日
ブリッジ
disc-5
6 前へ上へ
7 出発
8 何のために
9 チェッ
■ニューミュージックマガジン1971年9月号
渋谷のBYGにまたひとつ魅力的なバンドが現れた。7月頃からよくBYGに出演するようになった乱魔堂というバンドである。乱魔堂のメンバーは、松吉久雄(ヴォーカル、21才)、洪栄龍(ギター、ヴォーカル、23才)、猿山幸夫(ベース、21才)、矢島敏郎(ドラムス、20才)の4人。洪君はブラインド・レモン・ジェファーソンというブルース・バンドのリード・ギタリストだった。そのバンドが解散したのが69年の12月。翌年2月にはDEWを結成して、東北地方への長い旅に出た。
松吉 70年の7月に岩手県(原文どおり。実際は青森県)の八戸市で洪さんにめぐり会った。その時、ブルースのコピーをいくらうまくやっても、それはやっぱり人のものでしかないというか、コミュニケートできないハンディみたいなものを感じていた頃で、いつかオリジナルをやろうというようなことを語りあった。
洪 ブルースのコピーをやっている時には、聴いている人の反応が「あそこは○○のフレーズによく似てたとか似てなかった」といったことに限られていたけど、日本語でやるようになってからは「あのうたい方はよく感じが出ていた」とか「ギターのフレーズはもっとこうしたらどうか」とか「何をつまらないことうたってるんだ。そんなことは百も承知だ」とか、反応が変って来たものね。
松吉 で、東京に帰って来てからも洪さんとの交流を続ける一方で、その頃猿山氏とは第2次レモン・ジェファーソンというグループを作ってオリジナルをやっていた。
猿山 ぼくは洪さんとは古いつきあいで、5~6年にはなるかな。ギターが好きで、松吉君とオリジナルをやってたけど、自分では足りないものを感じてた。松吉君と相談して、3人でやろうじゃないかと決めたのが今年の1月。さっそく洪さんがぼくの家にいそうろうすることになって、そこを中心にあっという間に何かが始まったという感じですね。そこで旅に出ようということになった。
矢島 それまでぼくはロックを聴き込んでたんですが、漠然とドラムを叩けたらいいなと思ってた。そのころ3人に出会って、はじめて自分のやりたいことがはっきりしたという感じですね。一緒に旅に出ることにしたのです。3月には岐阜でやり、5~6月にかけて京都のキャッツ・アイという店に出演した。
洪 旅の間はずうっと、行く先々の若い人たちと話し合った。東京にいるだけでもなく、東京以外の地方にとどまるだけでもなく、とにかく日本中の若者が何を考えているのかがとても知りたかったんです。それはぼくが淋しがりやだからかもしれないけれど。ぼくの友達でバンドやってる人がステージでサンタナの曲をどんどん乗って演奏していたら、ひとりの男の人に「おまえら、それで日本人か」と怒鳴られたことがあったそうなんだけど、その発言が右翼的であるとかないとかは別にして、体の芯から震えるような寒さを感じたって、友達が言うんです。ぼくは日本人ではなないけど、日本に生まれて日本語を喋って日本で暮してる。そういうぼくの生き方を通して日本というものに触れてみる、触れたかなあという感じがとても大切に思えるのです。
さて、彼らのレパートリーの多くは、洪、松吉両君によって、京都生活の間に作られたものだ。演奏は、ブルースをベースにしたロックというだけでは舌足らずになるのだが、洪君の静かに凄いギターを中心に繰り広げられる演奏は、まるで夢を見るように響く。“乱魔”というのは、彼らや彼らを聴きに集まる聴衆の感情や想像力や肉体や・・・の可能性の状態を示すことばであり、“乱魔堂”というバンド名は、だからそういう人たち(乱魔童)がつどえるほこら(乱魔洞)という意味もこめて名付けられた。
松吉 小さなところでもいい、皆がつどえるというイメージですね。
洪 大きなコンサートはあまり好きじゃないんです。中津川なんかでも、そこに来るだけで自由になれると思ってる人が結構多かった気がするけど、音楽を聴いて欲しいと思ってるぼくたちからすれば、それだけすれ違いも強く感じた。音楽を聴くことは、特定のグループの演奏に聴き入って、その中で自由になるということじゃないのかしら。大きな音が出れば何でも乗っちゃうというのはどうも・・・。やっぱりことばも含めて乗って欲しいと思いますね。そういうふうに、聴いている人にコミュニケートしたいですね。
意外に古典的な演奏論だが、コミュニケートしたいと語る彼の口調には、押しつけがましさも楽天的なところもない。何よりも彼ら自身、「何の為に」という歌の中でこんなふうに歌っているのだ。《どんなに扉をノックしても 君にはわからない時があるよ》(北中正和)
■平凡パンチ1972年1月17日号
「ボクらは異端(あるいは奇型)に属するグループだと思われてるみたいだけど、違うんだな」とまず、誤解をとく説明から始めてくれたのが『乱魔堂』のメンメン。「日本にはロックの土壌がないせいか、模倣を避けて自分の歌をやろうと思ったら、異端チックなモノにならざるを得なかった。ボクらがホントにやりたいのはロックンロール。ことしはロックの原点を追求してみたい」支離滅裂なグループと自分たちを規定してはいるが、これはちょっとしたポーズで、実際はなかなか論理的なのだ。「これまでの日本のロックは、形の上での模倣であって、原点の問題に触れてなかったといえる。原点に触れることから、ホントの意味で日本のロックが生まれるのだろうと思う」彼らは、音楽の原点はブルースであり、ロックの原点はロックンロールだという。果たして、どこまで原点に迫ることができるだろうか。
■ニューミュージックマガジン1972年4月号
乱魔堂はポリドールで初のアルバムを吹き込み中。
■新譜ジャーナル1972年5月号
洪 僕は人一倍人を信じる、僕は確認する。女の子を信じている、信じて、裏切られると見向きもしない。僕を嫌いになったら、このバンドは解散するヨ。つながりがあるとすれば性的なものでつながっているんであって・・・、他のグループやミュージィシャンについては今は言いたくないヨ。そう、今まで言って来た事はすべてグチですヨ。(インタヴュー・宇佐美純子)松吉久雄:唄、洪栄竜:ギター、矢島敏郎:ドラムス、猿山幸夫:ベース、強化メンバー 上村律夫:キー・ボード、告井延隆:生ギター、サイド・ギター、風都市。7月頃アルバムが出ます。オリジナルの中から何をアルバムに入れるか、マネージャーの上村君が皆にアンケートをとりました。で円満にレコーディング中です。日本語の童話の世界を作ろうとしています。
■プレイボーイ1972年5月30日号
大阪でどでかいフォークの祭りがあった!! 天王寺野外音楽堂《コンサート春一番》 乱魔堂
今回のコンサートでは異色ともいえるハード・ロックのグループ。東京のグループだが、大阪にもかなりのファンがいるようだ。
■ニューミュージックマガジン1972年8月号
乱魔堂に新しいメンバーが加わって、5人編成になった。新しく入ったのは、山崎隆史(22歳)で、担当はギター。彼は以前、ブルース・クリエイション、頭脳警察などに在籍していたことがある。
■ニューミュージックマガジン1972年9月号
乱魔堂のデビュー・アルバムが登場した。もう少し泥臭くて、幻想的なところのあるアルバムが出来るのではないかというぼくの当て込みはみごとにはずれて、とてもスマートな、明快な出来上りをみせている。ブルースを基礎にした日本のロック・バンドは決して少なくないと思うのだが、その中でも日本語でうたってここまでこぎつけた例は乱魔堂以外にも多いのかしら。とにかくぱっとしたわかりやすさ、とっつきやすさが、このアルバムにはある。ギターのフレーズひとつにしても、よくこなれていて無理が少ない。そのかわり、下手をすると、無抵抗にずるずる流れてしまう危険がないとはいえないと思う。ぼくの知り合いの女性が、日本では珍しく動物的な臭いのするバンド、と言っていたが、そういえばそう。今度は新しいロックンロールをやるとかやらないとかそんな噂もきかれるこのごろです。(北中正和)
■ヤング・ギター1972年10月号
云うところの「日本語」のロックのグループでは、「はっぴいえんど」についで、知名度の高い「乱魔堂」の最近のアルバム。「はっぴいえんど」同様、人目を引くような派手さも、ショウ・アップも何もありませんが、「音」の確かさ、品の良さというところでは、すでに定評のあるところです。今後も、日本語のロックというところでは、この種のスタイリッシュなサウンド・メーカーが次々と登場してくるかもしれませんが、このアルバムでは、今後の「乱魔堂」の可能性をみたいと思います。この中では、コンサートで比較的おなじみの「ちぇ!」(A-1)や「何の為に」(B-4)が面白い。それにしても、ひとつのロックン・ロールのスタイルを目指すのもいいけれど、もっともっと思い切ったこともやれるのではないか、という気がしないでもありません。
■ヤング・ギター1972年10月号増刊号 ニューフォークの若者たち(写真集)
古いロックン・ロールをベースにしたロックを演奏するが、あくまで日本語でオリジナルをやっていく方針。'71年中津川フォーク・ジャンボリーで注目を集めたが、以前は京都で活動していた。メンバーは洪栄竜、山崎隆史、松吉久雄、猿山幸夫、矢島敏郎の5人編成。LP「乱魔堂」(ポリドール)。
■新譜ジャーナル1972年12月号
洪栄龍(ボーカル、ギター) 出身地不明
猿山幸夫(エレキ・ベース) 東京都出身
松吉久雄(ボーカル) 出身地不明
矢島敏郎(ドラムス) 八王子市出身
山崎隆史(ギター) 東京都出身
結成は昨年の2月。渋谷の『BYG』というロック喫茶で素晴しいプレイをみせその実力を認められました。それから、全国のコンサートを巡り歩き6月に帰京、東京を中心にコンサートなどで活躍しています。アルバム 『乱魔堂』、所属 風都市
■ライトミュージック1972年12月号
'72フォーク、ロックベスト・アルバム《日本編》 乱魔堂
元ブラインド・レモン・ジェファーソンの残党が昨年3月に結成したロック・グループ。今年の6月からサイド・ギター山崎隆史が加入。さわやかなヴォーカルとリード・ギター、洪さんのギター・プレーが、このアルバムの聞き所、フォーク、ロックともに関西勢の頭角が目立つ中で、東京に陣を構えた5人編成のロック・グループ。
■ヤング・ギター1972年12月号
乱魔堂解散
8月1日にデビュー・アルバムを発表して、その将来性を高く買われていた乱魔堂が、今年一ぱいで解散してしまうそうである。解散の理由は、メンバーの音楽上の意見の相違と言う事で、解散後は、まだ確定していませんが、2つのニュー・グループが生まれそうだということ。1つは、リード・ギターの洪クンと山崎クンが中心となって作るグループで、このグループには、現在乱魔堂のマネージャーの上村君(彼は昔、ブルースクリエーションや、らぶみいてんだあでキーボード・プレーヤーとして活躍していたんで、はっぴいえんどのアメリカでのレコーディングにもつき合っている)が何らかの形で加わるそうだ。そして、もう一方の松吉クン、矢島君、猿山クンらは、元デューにいたギタリストを加えて、再スタートする様である。乱魔堂がなくなってしまうのは残念な事だが新たに結成されるグループに期待してみよう。
■ヤング・ギター1973年1月号
乱魔堂に起った事件(?)の行方は・・・
12月号YGにて“乱魔堂解散”のニュースを載せたところ、読者の女の子から問い合わせの電話が沢山かかってきた。そのどれもが“彼らの解散”に対する心配を表現していたのである。そこで、詳しく(先回の情報については少し誤解をうける部分があったので訂正も加えて)説明すると、乱魔堂は事実上の解散はせずに、1つはメンバー・チェンジということで乱魔堂を続けるということ。1つは、グループから離れたメンバーによって、ニュー・グループが結成されるということである。リード・ギターの洪栄龍クンと山崎クンを中心としたグループ、矢島クンと猿島クンを中心としたグループで、リード・ヴォーカルの松吉クンの行方が気になるところ。目下、松吉クンはどちらに参加するか決定しない。いずれにしてもメンバーの今後に暖かい期待を持っていいだろう。尚、乱魔堂としては来年1月まで活動していくそうである。2月には“新結成・乱魔堂プラス・ワン”の2グループによるジョイント・コンサートが予定されている。まずは乱魔堂ファンも一安心ということで新しいタイプのロック・グループの方向にはちょっと興味がそそられるということ。
■ニューミュージックマガジン1973年2月号
乱魔堂が解散した。メンバーのうち、松吉久雄(ボーカル)、猿山幸夫(ベース)、矢島敏郎(ドラムス)の3人は、大野(ギター、元DEW)を加えて新グループ、フライを結成した。フライは、1月20日、東京日本青年館のコンサートでデビューする。洪栄竜(ギター)、山崎隆史(ギター)のふたりも、みずぐち(ベース)、たけし(ドラムス)とともに新グループを結成、グループ名は未定。春にデビューする予定で、現在練習中。
■ニューミュージックマガジン1973年3月号
先月号のこの欄でお知らせした新グループ、フライのメンバーが最終的に決定した。松吉久雄(ボーカル)、大野久雄(リード・ギター)、滝島幹夫(ギター)、猿山幸夫(ベース)、矢島敏郎(ドラムス)の5人。1月20日のデビュー・コンサートでも、パントマイムと共演していたが、音響、照明、アクションを含めたトータルなステージ活動をめざすとのこと。
■新譜ジャーナル1973年4月号
乱魔堂が解散して2つのグループに分散
ユニークなロック・グループ乱魔堂が1月15日をもって解散し、「雪童子(ゆきわらし)」と「フライ」に生まれかわった。メンバーは「雪童子」に洪栄竜、山崎隆史、「フライ」に松吉久雄、猿山幸夫、矢島敏郎とわかれ各々5人編成。
■ニューミュージックマガジン1973年4月号
乱魔堂が解散して、洪栄竜(ギター)たちが雪童子(ゆきわらし)を作っていたが、雪童子は自然消滅するようだ。洪栄竜は現在、中山ラビのバックで生ギターを使用している。同時にいまソロ・アルバム用のテープ作りを続けているが、この曲は全て彼の作詞・作曲。
■ニューミュージックマガジン1973年6月号
大阪の春一番コンサートに洪栄龍の新しいグループが出演した。これは、雪童子の解散後に編成されたグループで、春一番コンサートでは、中山ラビのバックをつとめた彼、新曲を2曲披露した。メンバーは洪栄龍(ギター、ボーカル)、倉橋(キーボード)、水口(ベース)、鈴木(ドラムス)の4人。これからも洪栄龍グループとして活動していく予定。
■ニューミュージックマガジン1973年7月号
洪栄龍グループ(スラッピージョー) 洪栄龍 ギター(フェンダー=ストラトキャスター)、ボーカル、倉橋和夫 ピアノ(フェンダー=エレクトリック・ピアノ)、ボーカル、水口光利 ベース(フェンダー・プレシジョン)、鈴木茂行 ドラム(ヤマハ=カスタム)、連絡先=りんご音楽出版
乱魔堂が解散した後、洪君たちは雪童子という5人編成のグループを作ったが、そのグループは、メンバーの音楽上の意見のくいちがいから、デビューする前に自然消滅してしまった。その時のメンバー3人に鈴木君が加わって今年の5月に結成されたのがこのグループである。メンバーの音楽生活はそれぞれ違っていても、人間的な面で意見が一致しているので、グループ結成に踏み切ったとのこと。現在は中山ラビと一緒のステージも多いが、いまの彼らのレパートリーは、ブルースからポップス的なものまでとかなり幅広い。ステージ慣れしていないところがあるので、現在猛練習中。7月からスラッピージョーというグループ名で活動する予定。
■ニューミュージックマガジン1973年7月号
フライ 松吉久雄 ボーカル(シュアー565)、大野久雄 ギター(フェンダー=ストラトキャスター)、猿山幸夫 ベース(フェンダー=ジャズ・ベース)、矢島敏郎 ドラム(パール=プレジデント)、角能正恭 ミキサー、山形多門 ライティング、連絡先=田村龍一
72年の春に解散した乱魔堂にいた3人のメンバーに、元DEWのギタリストの大野君が加わって結成されたバンド。73年1月20日にデビュー・コンサートを行なって以来、一貫して自分たちのコンサートを主催してきている。一時期、滝島幹夫(ギター)が加わっていたこともあるが、現在では上記のメンバーで活動中。ステージでは告井延隆(ピアノ、乱魔堂のアルバムに参加)が加わることもある。専属のミキサーとライティング担当者がいること、自主コンサートの開催などをみてもわかるように、トータルなステージ活動をめざしている。ブリティッシュ・ポップ的な香りのあるドラマティックなオリジナル曲が多い。ジァンジァンに毎月1回出演する。
■ライトミュージック1973年9月号
元乱魔堂のギタリスト、洪さんが新グループ“スラッピージョー”を結成。大阪天王寺で行なわれたコンサート「春一番」に出演、それが彼らのデビュー・ステージとなった。先ず、スラッピージョーのパーソネルを簡単に記しておこう。
洪栄龍 リード・ギター、ヴォーカル、作詞・曲
倉橋和雄 ピアノ、ヴォーカル、作詞・曲
水口光利 ベース
鈴木茂行 ドラムス
洪さんは、シカゴ・ブルース・メンが好きで、特にバディ・ガイに強くひかれたというだけあって、ブルース・ギターを弾かせたら、日本で5本の指に数えられるくらいの人。“Blind Lemon Jefferson”を経て“乱魔堂”を結成したものの、今年の1月、音楽上のくい違いから“フライ”と“雪童子”に分裂、雪童子の方は自然消滅したまま、洪さんを中心に、スラッピージョーが結成されたことになる。ベースの水口くんは東北方面で、ロック・グループに入って活躍していた。倉橋くんは、キャラメル・ママの松任谷くんらと“ニュー・アイスバーグ”というカントリー・グループに参加。グループ最年少の鈴木くんは、フラワー・パワーというグループで、芝居などのバック・バンドとして、ドラムを叩いていたという。現在、中山ラビのバック・バンドとして、ルウィード、ジャンジャンにレギュラー出演する傍ら、LPのテスト・テープを制作中。“このところ毎日のように、スタジオかアーティスト・ルームにこもって、練習してます。別にレコーディングとかステージのためというんじゃないんだけど・・・。貧乏しようが、いいものをつくりたいという気持の方が強いからね。”メンバー全員、これには異議がないらしい。毎日平均6時間の練習、ミーティングを大切にしてゆきたいという。だから、時節当来までステージでの演奏を仕事としてとりたくないのだとも。今年中にシングルを発表する予定。それと、正式なデビュー・コンサートを企画中だとか。ブルース、カントリー、ロックン・ロールとメンバーの好みもバラバラだが、ロックの再認識とともに、Music Marryを試みたいという。“乱魔堂ミュージックをきっかけに、ロックあり、ブルースあり、ロックン・ロールあり・・・どんな音楽形体をも包括できるパーソナル・ミュージックを確立したいな。だけど、器用貧乏にはなりたくない。レコーディングのバックを、やってもいいけど、グループでやるならやりたいな。”と語る洪さん。乱魔堂は、ただ音だけをグループのコミュニケイトの手段にして失敗したけど、今度は、ミーティングを主に、自分達の音を作り上げていきたいのだという。自宅録音は、個々の生活、人間性の中に入り過ぎたりするので、それはしたくないらしい。それだったら、食べるものを切り詰めても、自分達のアンプや楽器を買ったり、出来るものなら、スタジオをたてた方がいいという考えだ。居直りじゃない、食えないロックを何年もやり続けてきて、やっぱり自分達には、音楽しかないという自己認識の中で、精神的な余裕を見つけているように思えるのだ。そうあってほしいとも思う。スラッピージョーの道程は、これから途方もなく続くものだろうから。(大橋文)