戦争体験談、聞いたことある?
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Amebaでは初ブログです
Ameba登録したのはある方のブログを読みたいからでした
小説を読んで「永遠の0」ファンになり映画を観て岡田准一さんのファンになった私にとって
今日初ブログと言うのはあってるのかもしれませんね。
永遠の0を観たあとは戦争体験の本を読んだり戦跡なども訪れたりしました。
鹿屋基地も行きましたし、筑波海軍航空隊記念館なども行きました。
その話はまた別の機会に書きます。
戦争体験の話ですよね。
母から子どもの頃何度も空襲の話は聞いていました
サイレンが鳴ると身構える母の姿もハッキリ覚えています
戦争で学校でも勉強なんかできなかったと言っていました。
子どももみんな勤労奉仕があったのでしょうね。
終戦時、母は9歳。東京大空襲前に埼玉県に家族で疎開しました。
それまでは北池袋に住んでいたそうです。
祖父は戦地に行っていました。
東京が空襲される様になり、夜中だろうと関係なく空襲警報がなるのでいつでも逃げられる準備をして寝ていたそうです。
母は5人兄弟ですが、下の二人は戦後生まれなので当時は3人兄弟の真ん中で、一番上の兄(伯父)は学童疎開で家族とは離れて暮らしていました
学童疎開は高学年だけだったそうです。
母は小学校低学年、叔父はまだ赤ちゃんだったので祖母がおぶって逃げていたと聞きました。
良く聞かされた話は焼夷弾が雨の様に降って来る中を祖母と手を繋ぎながら駆け抜けた事
焼夷弾が落ちると周りの家にパァッと火がついて障子紙がペラペラペラペラッと燃え上がり、あちらこちらで火事が起こる事。
その中を一目散に防空壕まで走って逃げるのだそうです。
一度すぐ近くに着弾して爆風で吹き飛ばされ、頭から土がザァッっとかかり、あたりが真っ暗になってしまい
「ああもう死んだ‼️」と思った事。
そのまま気を失ってしまったらしく、母の名前を呼ぶ祖母の声で気がつき、目を開けると防空壕の中で祖母の膝枕で寝かされていたそうです。
近くにいた大人達が気を失ってしまった母を防空壕に引っ張り込んでくれたらしいです。
もしも着弾した場所が少しずれていて直接母に当たっていたら
今、母も私もこの世にいないんですね…
他にも聞いた話はありますが
それはまた今度にします。
