いろんな遊び。。。
だんだんと秋の気配が感じてきた今日この頃。
しかし、わたくしは、まだ半袖BOY。。。
ですが、外の匂いや、空気、夕日の色が変化してきました。
自分は夕日が好きだ。
ガキの頃から学生時代までは、夕日が落ちるまで、
来る日も来る日も、外で遊んだり、部活をしてた記憶しかない。。。
野球、ハンドベース、サッカー、缶蹴り、ケイドロ(ドロケイ???っていう人もいたなぁ)、
めんこ、ろくむし、そして部活・・・・・。
東京出身の自分の遊び場は、多摩川か、家の周りの商店街や狭い道路でした。
多摩川のグラウンドでの遊び方と、商店街や路地などでの遊び方は、今思うと、色んなことが変化していた。
多摩川での遊びは、元々、だだっ広い野球のグラウンドで、遊べば楽しい。
でも、商店街や路地などでの遊びは、そういうわけにはいかない。
今思うと、よく遊んでたもんだ なんて思うわけです。
商店街の場合、カラーバットを振り回し、マンホールなどを一塁・二塁・三塁に見立て、
買い物中の主婦やおじいちゃん・おばあちゃんを全く気にせず、
ただただボールを追いかけていた。
記憶にないが、多分というか、間違いなく、大人達にボールをぶつけてしまっていたと思う。。。汗。
人が多い時は(元々商店街なので多いですが・・。)
「ちょっと、人多いから、タイム!」
「ったく、早くどいてよ。」(こっちが退くべき。)
「このお肉屋を超えたら、ホームランな!」
なんて。。。
路地の場合は、道路の両脇は、当然一軒家が立ち並んでいるわけです。
道路の幅は限られているので、引っ張りすぎたり(レフト方向)、流しすぎたり(ライト方向)すると、
たちまち、家の庭に入ってしまう。→当時のルールではファールだった。
はじめは・・・・・。
ピンポーン
「すみませーん、ボールを取らせてくださ~い」
なんて、一応常識をわきまえる。
が、
これが、1日遊んでると、数え切れないわけ。。。。。
なので・・・・・・・。
勝手に入って、ボールを取りに良く。。。
気配を消して。。。
多分、バレていたと思うが。
家によっては、番犬がいるわけです。
マンガっぽいが、番犬に噛まれたこともあるし、リベンジしたことも・・・。
更に、他人の家の窓ガラスを割ってしまったり・・・・・・。
カラーボールで遊ぶ時は、まだ良かったが、
軟式ボールでも、遊んでいたので、その時は結構被害が大きかった。
窓ガラス・ブロック塀が一部粉砕したり・・・・・・・・。
他人のブロック塀なのに、そこら辺に落ちている石を手に、削りながらストライクゾーンを作ってしまったりね。
そんな中、子供ながらに限られた場所での遊び方や、恐いおばさんの対応策、
あそこの家にボールが入ったら、アウト。 みたいなルール変更をしたりね。
両親が仕事をしていたので、いわゆる 『 カギっ子 』 ではあったが、
ホント毎日、遊んでいたので、淋しいとか、そんな感情自体、皆無でした。
自分がプロ野球選手と想定し、自分が打ったホームランの数なんかを記憶しておいて、
『 この選手よりも、俺ホームラン打ってる!』
なんて想像して、ワクワクしたり。
おそらく、こうした体験が、結構活きているんですよね。
遊び場がないから、遊べない。
いいボールやバットじゃないから。
遊ぶ人数が多い、少ないなんて、関係なく、
その集まった人数の中で、楽しく遊べることを考えればいいだけ。
晴れだから、雨だからって何も変わらず、遊ぶ。
今は大人なので、全てマッチさせることは、
それはそれで、ナンセンスな部分もあるが、
大人の世界でいうと、様々な環境(会社・待遇・設備・教育・プライベートetc・・・・・)
今の自分だったら、どんな環境が適しているのか、活かせるのか・・・・・・。
このような思考性になることが非常に多い。
1つの正解とも思う。
しかし個人的に感じていることは、” 自分に適しているか ” ” 自分が活かせるのか ” という言葉の意味が、
” 用意してもらう ” ” 活かしてもらう ” という意味になってしまいがちになってしまうことも・・・。
勿論、様々な意味で用意してもらったり、活かしてもらうような環境の方が、単純に『 楽 』です。
でも、こうした思考性によっての弊害があるような気がします。
自分から → → → → → →→ → → → → →→ → → → → → →
自分に ←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←
もらうのではなく、してあげるように。
もらうのではなく、自分で掴めるように。
用意してもらうのではなく、作り出せるように。
20代の頃、よくよく言われたことです。
今、感じるのは、まず自分からという意識や行動をした中で、
してもらったことがあった時に、
初めて
『 感謝 』
という気持ちになる。
ということに気付きました。
自分からやらないで、他人がしてくれたことって、
何か、さらっと流してしまいがちですし、時に当たり前なんて態度をとってしまうことがあるかもしれません。
こんな初歩的なことを、今、また感じられるもの、
このデフ・グラウンドという会社を設立した1つの意味・意義かもしれません。
ってな感じで。
今回も読んでいただき、ありがとうございます!
ランキング参加につき、1クリック、お願いします。。。
ではでは。
しかし、わたくしは、まだ半袖BOY。。。
ですが、外の匂いや、空気、夕日の色が変化してきました。
自分は夕日が好きだ。
ガキの頃から学生時代までは、夕日が落ちるまで、
来る日も来る日も、外で遊んだり、部活をしてた記憶しかない。。。
野球、ハンドベース、サッカー、缶蹴り、ケイドロ(ドロケイ???っていう人もいたなぁ)、
めんこ、ろくむし、そして部活・・・・・。
東京出身の自分の遊び場は、多摩川か、家の周りの商店街や狭い道路でした。
多摩川のグラウンドでの遊び方と、商店街や路地などでの遊び方は、今思うと、色んなことが変化していた。
多摩川での遊びは、元々、だだっ広い野球のグラウンドで、遊べば楽しい。
でも、商店街や路地などでの遊びは、そういうわけにはいかない。
今思うと、よく遊んでたもんだ なんて思うわけです。
商店街の場合、カラーバットを振り回し、マンホールなどを一塁・二塁・三塁に見立て、
買い物中の主婦やおじいちゃん・おばあちゃんを全く気にせず、
ただただボールを追いかけていた。
記憶にないが、多分というか、間違いなく、大人達にボールをぶつけてしまっていたと思う。。。汗。
人が多い時は(元々商店街なので多いですが・・。)
「ちょっと、人多いから、タイム!」
「ったく、早くどいてよ。」(こっちが退くべき。)
「このお肉屋を超えたら、ホームランな!」
なんて。。。
路地の場合は、道路の両脇は、当然一軒家が立ち並んでいるわけです。
道路の幅は限られているので、引っ張りすぎたり(レフト方向)、流しすぎたり(ライト方向)すると、
たちまち、家の庭に入ってしまう。→当時のルールではファールだった。
はじめは・・・・・。
ピンポーン
「すみませーん、ボールを取らせてくださ~い」
なんて、一応常識をわきまえる。
が、
これが、1日遊んでると、数え切れないわけ。。。。。
なので・・・・・・・。
勝手に入って、ボールを取りに良く。。。
気配を消して。。。
多分、バレていたと思うが。
家によっては、番犬がいるわけです。
マンガっぽいが、番犬に噛まれたこともあるし、リベンジしたことも・・・。
更に、他人の家の窓ガラスを割ってしまったり・・・・・・。
カラーボールで遊ぶ時は、まだ良かったが、
軟式ボールでも、遊んでいたので、その時は結構被害が大きかった。
窓ガラス・ブロック塀が一部粉砕したり・・・・・・・・。
他人のブロック塀なのに、そこら辺に落ちている石を手に、削りながらストライクゾーンを作ってしまったりね。
そんな中、子供ながらに限られた場所での遊び方や、恐いおばさんの対応策、
あそこの家にボールが入ったら、アウト。 みたいなルール変更をしたりね。
両親が仕事をしていたので、いわゆる 『 カギっ子 』 ではあったが、
ホント毎日、遊んでいたので、淋しいとか、そんな感情自体、皆無でした。
自分がプロ野球選手と想定し、自分が打ったホームランの数なんかを記憶しておいて、
『 この選手よりも、俺ホームラン打ってる!』
なんて想像して、ワクワクしたり。
おそらく、こうした体験が、結構活きているんですよね。
遊び場がないから、遊べない。
いいボールやバットじゃないから。
遊ぶ人数が多い、少ないなんて、関係なく、
その集まった人数の中で、楽しく遊べることを考えればいいだけ。
晴れだから、雨だからって何も変わらず、遊ぶ。
今は大人なので、全てマッチさせることは、
それはそれで、ナンセンスな部分もあるが、
大人の世界でいうと、様々な環境(会社・待遇・設備・教育・プライベートetc・・・・・)
今の自分だったら、どんな環境が適しているのか、活かせるのか・・・・・・。
このような思考性になることが非常に多い。
1つの正解とも思う。
しかし個人的に感じていることは、” 自分に適しているか ” ” 自分が活かせるのか ” という言葉の意味が、
” 用意してもらう ” ” 活かしてもらう ” という意味になってしまいがちになってしまうことも・・・。
勿論、様々な意味で用意してもらったり、活かしてもらうような環境の方が、単純に『 楽 』です。
でも、こうした思考性によっての弊害があるような気がします。
自分から → → → → → →→ → → → → →→ → → → → → →
自分に ←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←
もらうのではなく、してあげるように。
もらうのではなく、自分で掴めるように。
用意してもらうのではなく、作り出せるように。
20代の頃、よくよく言われたことです。
今、感じるのは、まず自分からという意識や行動をした中で、
してもらったことがあった時に、
初めて
『 感謝 』
という気持ちになる。
ということに気付きました。
自分からやらないで、他人がしてくれたことって、
何か、さらっと流してしまいがちですし、時に当たり前なんて態度をとってしまうことがあるかもしれません。
こんな初歩的なことを、今、また感じられるもの、
このデフ・グラウンドという会社を設立した1つの意味・意義かもしれません。
ってな感じで。
今回も読んでいただき、ありがとうございます!
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ではでは。