復活節第3主日礼拝 | サトウユウイチのごすぺる放浪記

復活節第3主日礼拝




 平成26年5月4日の日曜日、旅先の日本基督教団札幌教会の礼拝に出席しました。
 この教会堂は明治時代に建てられたもので、国の登録有形文化財だそうです。




 この日は米倉牧師による説教が行われました。
 説教をブログに乗せる了承を先生からもらいそこねたので、今回は僕のとったメモの内容だけ書きます。
 とはいえ、とても難しい内容だったので、それを全部書くと明日の朝までかかりそうですが。(笑)

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(ローマの信徒への手紙7章24~25節)
 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。

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説教題「唯一の慰め」  米倉牧師(札幌教会)

 「ハイデルベルク信仰問答」16世紀にドイツで、「ローマの信徒への手紙」によりつくられた。

問い1 「生きているときも死ぬときも、あなたのただひとつの慰めはなんですか。」
答え  「私が身も魂も、生きているときも死ぬときも私のものではなく、私の真実なる救い主イエス・キリストのものであることである。」
 「慰め」とは単なる気休めではない。主がともにいてくださることによって味わうことのできる平安。
 この問いは、あなたはクリスチャンかどうかを問いつつ、あなたの「慰め」とは何かを問いかける。
 私たちの存在全てがイエス・キリストのものであり、自分たちのためではなく主のために生きる。

問い2 「それなら、あなたがその慰めの中に祝福されて生き、または死ぬためには、あなたはいくつのことを知らねばならないか。
答え  「3つ (1)私の罪がどれほど大きいか (2)私がどのようにして私の罪から救われるのか (3)私がどんなに、この救いに対して神に感謝すべきか」
 私たちはすでに救われていて、神のものであるという励まし。
 自分や他人の弱さを忘れず、神を見上げて歩むことを忘れないように。

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 建物内部から見た幾何学模様のステンドグラス。とてもきれいでした。