降誕節第9主日 | サトウユウイチのごすぺる放浪記

降誕節第9主日



 2014年2月23日の日曜日、北見望ヶ丘教会では降誕節第9主日礼拝が行われました。
 早いもので、2月最後の礼拝になります。

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(マルコによる福音書2章1節~12節)

 数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。

 しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床(とこ)をつり降ろした。
 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は許される」と言われた。ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を許すことができるだろうか。」
 イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は許される』と言うのと、『起きて、床をかついで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を許す権利を持っていることを知らせよう。」

 そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床をかついで家に帰りなさい。」
 その人は起き上がり、すぐに床をかついで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

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説教「癒し人イエス」 秋山牧師

 いまオリンピックで脚光を浴びているスポーツ選手たちも、ふだんの日常は地味で禁欲的です。
 そして常に、ケガや故障と戦っています。
 人生においても、私たちの望まないことが必ずおこります。
 それをいかにして受け止め、どう担ってゆくのか。どうしたら、それができるのか。

 中風の患者は、決して一人ではありませんでした。彼のことを思ってくれる友人が、少なくとも4人いました。
 応援すること、祈ることと、その結果とに因果関係があるとは言い切れません。
 しかし結果はさておき、イエス様は4人の男たちの信仰を確かに聞かれました。
 本人の信仰はともかく、究極のとりなしの祈りを、イエス様は受け止めているのです。

 また、ここでイエス様が行ったのは「罪のゆるし」の宣言です。
 かつて、「病気」と「罪」とは結びついていましたが、イエス様はその「病気」と「罪」との結び付きをあざやかに切り離したのです。
 病人に対し、あなたは「罪人」ではなく、「ただの病人」だと言っているのです。
 人は罪人として生きてはいけません。しかし、罪が切り離されるならば立ちあがることができるのです。
 中風の男は、床をかつぎ、病を受け入れて生きてゆきます。4人のとりなしの祈りは確かに聞かれたのです。

 これが、キリスト教信仰の癒しです。苦難こそが、希望に至る第一歩なのです。

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(ひとりごと)

 礼拝終了後、毎月恒例の「のぞみ食堂」がありました。

 この日のメニューはクリームシチュー。




 他に、オープンサンドもありました。手造りジャムも出ました。

 たいへん、おいしゅうございました。
 ごちそうさまでした。