聖霊降臨節第14主日
18日の日曜日、北見望ヶ丘教会では聖霊降臨節第14主日礼拝が行われました。
当日は牧師先生が置戸教会に行っていて御留守のため、信徒による朗読説教が行われました。
担当したのは、不肖わたくし。(笑)
☆☆☆☆☆
(ローマの信徒への手紙8章1節~17節)
従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。
キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死の法則からあなたを解放したからです。
肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、〝霊〟は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方(かた)の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方(かた)は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によって「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。
☆☆☆☆☆
今回の聖書箇所には「律法」という言葉が何度かでてきます。
律法とは、神から与えられた法律であり、しなければならないこと、してはいけないことです。
仮に、「嘘をつかない」ということが律法だとしましょう。
これが道徳であれば、嘘をついてしまっても反省して相手に誤り、行いを改めればそれですみますが、律法であると、ただ一度でも嘘をついてしまえばもう取り返しがつかず、神の怒りに触れて神から切り離されてしまいます。
とはいえ、人間である以上嘘を一生の間に一度もつかない、なんてことができるわけがありません。
「神の律法に従いえない」とは、そういうことです。
しかし、神様は人間がそのような弱い者であることを、よくご存じでした。
神様はそのために神の子、イエス・キリストを人として私たちのためにつかわし、わたしたちのすべての罪を負って十字架で死ぬことによって、人間の持つ弱さから私たちが救われる道を開いてくださったのです。
もちろん、それでもなお嘘をついてはいけないことに変わりはありません。
しかし、それができない弱さをも含めて、神様は私たちのことを愛してくださっているのです。
