5月5日の釧路キリスト福音館における日曜礼拝 | サトウユウイチのごすぺる放浪記

5月5日の釧路キリスト福音館における日曜礼拝


ユーリのごすぺる放浪記


 5月5日のこどもの日、釧路キリスト福音館において日曜礼拝が行われ「主にあっての信仰」という題で山形兄の礼拝メッセージがありました。

(聖書箇所)
 コリント人への手紙 第一 16章19節~24節
「アジヤの諸教会がよろしくと言っています。アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。
 すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。
  パウロが、自分の手であいさつを書きます。
 主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。
 主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。
 私の愛は、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべての者とともにあります。アーメン。」

 私たちは1年以上をかけて、コリント人への手紙第一から学びを進めてきました。今日はその最期になります。
 この箇所はパウロがコリント(ギリシア中部の街。現存する。)の教会にあてた手紙の結びのあいさつですが、それは同時に神様の言葉でもあります。
 コリントの教会はじつにさまざまな問題をかかえた教会でしたが、ここにパウロは最低4回は手紙を書き、最低3回は訪問しています。
(1.主にあるつながり)
 神様の子供たち、私たちは言葉と行いと文字によってつながっています。
 まずコリントの教会にはアジヤ(小アジア。今のトルコ)の諸教会や、アクラとプリスカ夫婦が主催する家の教会、すべての兄弟たち(旅人であったパウロの同行者たち)が、よろしくと言っています。(言葉)
 また、互いに口づけをもってあいさつをかわすようすすめています。(行い)
 そして、パウロ自信がコリント教会に手紙をもって励ましています。(文字)
(2.主にある希望)
 主を愛さない者はのろわれよ、とは、決してキリスト教を信じていない者はのろわれよ、という意味ではありません。
 主を愛さない者とは、主を信じていると言いながら、主を愛していない人のことです。
 それは、イエス様だけでなく兄弟姉妹(ともに教会に集う者)を愛していない人も含まれます。
 のろわれよ、とは、神の怒りに触れよ、教会の集まりから遠ざけられよ、という意味です。
 そのうえで「マラナ・タ」(主よ、来てください)という、主が来られることによる希望が語られるのです。
(3.主にある愛)
 わたしの愛が、キリスト・イエスにおいてあなたがた一同とともにあるように。
 それはまるで、親子のまじわりと同じように、天の神様はいろいろな問題がある人、いろいろな問題がある教会に、愛をそそいでくださるのです。

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