降誕節第1主日 | サトウユウイチのごすぺる放浪記

降誕節第1主日

 
ユーリのごすぺる放浪記


 昨日の12月26日の日曜日、北見望ヶ丘教会では降誕節第1主日礼拝で「神の言葉に導かれて」と題して秋山先生の説教が行われました。


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 皆さんはこの時期、今年はこのような年にしようと思ったと思いますが、実現できましたでしょうか。

 多くの人は今年のことを振り返ると、ため息がでるでしょう。だから忘年会で、今年のことを忘れることで次のステップに踏み出すことができます。

 でも残念ながら教会には、忘年礼拝はありません。(笑)

 教会は、良いことも悪いこともすべて飲みこんでゆきます。それによって次のステップを踏み出すのです。


 私達が今年1年を振り返るときに、決して忘れてはいけないことがあります。

 それは、私達の信じている神様は遠くから見守る神ではなく、私達の人生に積極的に介入してくる神だということです。


 しかしここで、私達は大きな矛盾に突き当ります。神が介入しているにもかかわらず、私達は多くの悲しみ苦しみを受けたという事実です。


 このことの答はひとつしかありません。

 それは、私達の受けたこの1年の苦しみはすべて神様が承認されたものであり、そこから主の御心にかなう道が開かれるということです。


 この1年、さまざまな状況の中で私達が神様との関係において誠心誠意行きぬいてきたかどうか。この1年の生き方がそのようなものであれば結果はどうあれ、私達のこの1年の経験はすべて神様の御心にかなうものに変えられてゆくのです。


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 今年1年北見望ヶ丘教会の礼拝で行われた説教を要約したものを書いてきましたが、いかがでしたでしょうか。

 いちおう、秋山先生の了解はとっています。念のため。

 たぶんそのうち、コメントか何かくれるんじゃないかと思います。(笑)


 僕にとってキリスト教が身近にあるのはクリスチャンなのであたりまえなんですが、キリスト教に縁の無い人にも、少しでもイエス様の「おもしろさ」を知ってほしくて始めてみました。


 教会員が自分の教会の牧師を公の場で褒める、というのもなかなか気恥ずかしいものがあるのですが、秋山先生の礼拝説教はとてもわかり易くキリスト教の真髄を説き聞かせてくれますので、日曜朝の10時半、ヒマでヒマでしょうがないがただ寝てるのももったいないという日がありましたら、ぜひ北見望ヶ丘教会に足を運んで直接話を聴いてみることをお勧めします。