成熟した個人の集合体、としての社会
3月26日、鳩山首相の記者会見がフリーランスやネットメディアなどの記者にも開放して、首相官邸にて行われました。
たっき~師匠はブログ「愛国通信」にて、「歴史的な『首相記者会見』のオープン化」と書いていましたが、「歴史的」という表現は、まったく僕も同感です。
「記者クラブ」という制度は、情報を供給する側にとっても、それを受けて報道する側にとっても、とても便利な制度であったことは間違いがないのでしょうが、それは必ずしも私達、いわば最終的に情報を受ける側との利益とは一致しない。
情報の取捨選択を報道する側が一方的に決定することにより、あきらかに国民の「知る権利」が侵害されていたわけですから、「記者クラブ」という制度の一角が崩れたということは、私達にとっては朗報です。
ただ今まで以上に生の情報に触れる機会が多くなるということになると、今度は私達自身が情報を判断する必要性に迫られます。
例えて言えば、今まではどこかで誰かが作ってくれたコンビニのお弁当ばかり食べていたのが、これからは材料をもとに自分で素材を料理しなければならなくなります。
面倒なことではありますが、これからは、あふれる情報を自分なりに判断することができる独立した個人であることが求められますし、そうした成熟した個人の集合体によるものでなければ、議会制民主主義は機能しないのも事実です。
私達は、今までよりは面倒ではあるけれども、ある意味おもしろい時代に突入したとも言えます。
