宮城谷昌光 「孟嘗君」を読む
宮城谷昌光の小説が好きで、よく読む。
彼の小説のほとんどは古代中国の春秋戦国時代(紀元前8世紀~前3世紀)で、魏、韓、趙、斉、秦、楚といった国が派遣を争った時代に生きた人々が主人公。
当然のことながら、漢字が多い。(笑)
しかも、著者のこだわりもあり、見たことも聞いたことも無い漢字が次々と出てくるので最初はとっつきづらいが、慣れてくるとそれが面白い。
三国志を読むような感覚といったらわかるだろうか。その三国志よりも昔の話だ。
主人公の孟嘗君(田文)は斉の国の王の弟田嬰の子。
「5月5日に生まれた子は親を殺す」という迷信を信じた父に捨てられるが、一介の風来坊だった風洪という男に拾われ育てられて成長した後、ふたたび実の父のもとに戻り、その後を継ぐ。
その後、斉の国、魏の国、秦の国の宰相を歴任。歴史は一時、君でも王でもない彼を中心に動いた。
食客を好み、一芸に秀でたものであれば誰でも迎えた。その数、一説によれば三千人。
食客であった物まね名人と泥棒の活躍により死地を脱した逸話でも知られる。
実は、最初は失敗作だと思っていた。
彼の著作は親子二代、あるいは三代にわたることが多く、これも最初は育ての親である風洪(後の白圭)が事実上の主人公になる。
この風洪の活躍があまりにも印象的で、そればかりでなく周囲に魅力的な脇役があまりにも多いので肝心の田文がかすんでしまい、ようやく彼が物語の中心に座った瞬間に物語そのものも終わってしまう。
著者は絶対にペース配分を間違ったなと思っていた。
ところが、何年かおいて今回ひさしぶりに読んでみて驚いた。
風洪はじめ他の人々に目をとられすぎていたからそう思ったのであって、あくまでも田文の成長物語としてこの物語をとらえた時、彼の人生にかかわったさまざまな人々の生きざまが、その後田文自身の人生に収斂されていく。
これは素晴らしい物語だと思った。
時間をおいて、これほど読後感の印象が変わった本も珍しい。
