政治の季節のはじまり
昔、といってもたった2年前の夏の日のこと。
広島で行われた平和集会に出席していた僕は、あの慰霊碑の前で形式的に挨拶文を読む小泉首相の米粒ほどの後ろ姿をみつめながら、愛読していた塩野七生著「ローマ人の物語」に登場する、カエサル登場前夜のローマの実力者、スッラのことを思い出していた。
「元老院派」と「民衆派」が争っていた共和制時代のローマで、元老院派の首魁である彼は自らに対立する側の人間を一掃することで権力を手に入れ、元老院体制を強固なものとするために画期的な改革を次々と断行した後に自ら権力者としての座を降り、幸福な隠遁生活を送ったのちに安らかに死に、素晴らしい国葬によって葬られる。
しかし‥
でもこの後は、塩野先生の文章をそのまま使用することとしたい。簡素で完璧な先生の文章をさらに要約するような文才は自分にはないし、私にとって先生の文章は、先生にとってのカエサルの文章のようなものだからと言えば、先生もきっと苦笑しつつも許してくださるでしょうから。
『人間にとっての幸福が、考えたことを実現し、その後に来るのが畳の上の死であるのならば、ルキウス・コルネリウス・スッラは彼の自己評価どおりに「幸福な人」であった。だが、人間にとって、とくに公人であることを宿命づけられた人にとって、考えたことも生前には実現せず、その後に来るのが畳の上の死どころか非業の死であっても、その人が属す共同体の将来を指し示す道標を打ち立てたことこそ幸福であるとするならば、ルキウス・コルネリウス・スッラは、「不幸な人」であったとするしかないのである。
近現代の著名な歴史書のほとんどすべてが、スッラの死を述べた後に続く章を、「スッラ体制の崩壊」と名づけているのが、それを如実に示している。スッラの死とともに、彼が懸命に修復に努めた元老院主導による共和制ローマという「革袋」は、再びほころびはじめるのである。それも、スッラの独裁下でも生きのびた、反スッラ派によっ
てなされたのではない。親スッラ派に属す人々によってなされたところが問題だ。』
イタリア・オペラの大ファンで読書家でもあった元首相がよもや「ローマ人の物語」を知らなかったとは思えないのだが、やはり歴史を軽視した者は歴史からは学べなかったのだろうか、としか言いようが無い。
ローマはこの後、ガリアからオリエントまでのいわゆるローマ世界全体を巻き込んだポンペイウスとカエサル、オクタヴィアヌスとアントニウスの闘争をへて帝政へと移行するのだが、私達はどこへ向かうのか?いや、どこへ向かわせなければならないのか?