昨日今日と、
めまぐるしく頭を使った。
こういう時は最高に気持ちがいい。トレやランと同じ、はっきり言ってこのためにトレしてランしてるので。
まともな人間になれた気がする。笑。
私はこの仕事、22年になる。人並みにまあ、なんとかやって来れたのは、99%まわりのおかげ。
自分が得意とするものが何なのか、いまだにわからないし、人に誇れるものも何もないまま。
いつもぬれねずみさんのようにこころは自信がなく震えている。
ただ、いつも、
さまざまに対して、何故なのか?繰り返し、自分にも、世の中にも、
問いかけている感じで生きてはきた、かな。それが生きる力になった。
今年1月、
イギリスで「孤独省」??~正しい和訳かどうかわからないが~、孤独対策省(といっていいんだろうな)
が新設された。さすがイギリス、と思って記事を読んだ。
イギリスでは900万人の人が孤独を抱えて生きているという調査結果に基づくものだという。
BBCの記事では、
「孤独は一日15本のたばこを吸うより健康に悪いもの」で、
国民の生産力の金額換算でも大きなマイナス要因のようだ、というのだが、、、、、
金額換算が予算には必要なんだから、わからないでもない、が、読み進めると、
孤独を感じるのは10代20代30代でも多いという。家族のあるなしにかかわらず、だ。
日本でも多くの子供たちが孤独と貧困を抱えており、実際に触れ合ってお仕事をしている方々のお話を伺うと、
どんどん、さみしさ、というものが、人々の人生に影響を与えている昨今だなあ、とおもっていたけど、
省を作れるなんて、
ここでまた、さすがイギリス、と、おもった。
(ロンリネスって孤独っていうのとはちょっと違う、、和訳、ちょっと違うよね。さみしさ対策省、だよね)
人間の生き方、幸せへの問いかけと対策が、そちらの省というあらわれになったのではないかと思い、
心のどこかで、やっとだありがとう、と、うなずいた。
そして同時に、
はたして、孤独とは、
そもそもそんなにわるいものなのだろうか、と、
繰り返し問いかけてきた自分を発見した。
人間は社会性を要求される生物だけど、
そもそも生き物は、一人で生まれて一人で死ぬ、よね。
だから、生まれる時も生きる時もひとり、孤独なんだと私は思う。ひとりだからこそ、孤独だからこそ、
感謝してありがたくて、今日を生き延びて、それが重なって、やっとめでたく、死ねる。と、私は思う。
死は生の中にあるもので決して独立して突然やってくる災難ではない、よね。いつか死ぬのがわかっているから、
今日、けっこういい日だったりって、そう、生き延びるもんじゃないかって。家族はその目撃者で、
自分の人生の責任を負わせるものではない。
一人で生きれるときがきたなら自己責任で自分を食べさせて生きる。動物全部がやっていることだ。
親にも、子供にも、それぞれの人生があり、初めての人生を生きている。
なので、親にならないとわからない、とか、子供を産まないとわからないとか、
親が悪いとかいつまでも言ってる、さまざまな表現があるけど、
子供がいるから、
家族が多いから、
配偶者がいるから、いないから、
だから何だというのか、
私にはさっぱりわからないのである。
人が自分をどう見るのか、は、計り知れなしことなので、取り合うものではないし、
生きているだけでどちらにしたって周りの人にもものにも世話になってることなんて当たり前なんだから、
家族がいて一緒にいても、相手のせいばかりにして醜く吠えまくって生きて自分は孤独じゃないけどあなたは?
って言われても、その姿は、孤独そのもの、ひじょうにひとり、なんじゃないかと、私は思ったりする。
家族の中で生きていても孤独を感じる子供も大人も多いなんて、はっきり言ってあたりまえ。
その矛先をどこに向けるかが、大切なんじゃないかなって、私は思う。
孤独はかわいそうなのではないと私は思う。
孤独を大切に思わないと、一人で死ねないよ。いつか必ずみんなもれなく一人で死ぬんだから。
だから、ちょっとでもやさしくいたい、とか、大事にしたいとか、
まあ、ちょっとした思考の逆算をしてみたりする。
孤独だから愛がないなんて思わないで、自分を楽しくさせて生きることだってすてきなことなんだ。
と、
今日はトレ終わって、
あたたかくなってちょっと花粉も舞っている空気の中で思ったりした。
それではみなさん
今週もお疲れ様でした!わたしは万年筆展に向けて集中です。
またね~~~!
