明日から10日間のヴィパサナー瞑想合宿が始まる🧘
そしてその4日後には聖慈もタスマニアに旅立ってしまうので、聖慈と過ごせるのは明日の朝まで😢
12月に高校を卒業して、2月末にはタスマニア✈️という日程で、最初はその間バイトすると言っていたんだけど真剣に探す様子もなく、結局ずっと家にいた。
それで毎食ご飯を一緒に食べて、毎日一緒にジム行ったり映画行ったり遊びに出かけたりして、
なんだか赤ちゃんの時に戻ったみたいで、本当に本当に幸せな毎日だった☺️
ジムで筋トレ
バンクシー展
近くのコーヒースタンドで朝ごはんにミートパイ🥧
ハンバーグ丼作り。
各自盛り付けをしたら、聖慈のはとっても綺麗😍
私のはグチャグチャ😅
今朝は最後の1日ということで、昔住んでいた家を見に行ってみようと言っていたのだけど、
あいにく雨だったので断念。
代わりにお気に入りのコリアンカフェでチルして来た☕️🍰
会えなくなっちゃうの淋しいねと話している時間がまたこの上なく幸せ🥰
ここ数回書いているネドじゅんさんの右脳と左脳の教えからまたまた気づきがあった。
私は聖慈のことが大好きすぎて、とにかく聖慈のことを感じたいから、
聖慈といるときは、今ここにいられる時間が長くなる。
具体的にいうと私の場合は、背骨に意識をおいてそこから広がる神経に集中し、さらに体を流れる血液などの体液にも意識をおく。
思考は静まって、意識は神経や体液と同化している。
そうすると17歳男子のみなぎる生命エネルギーみたいなものが伝わってきて、私の身体まで若々しいエネルギーに共鳴して元気になる。
エネルギー感はその時々で変わるけど、どんなエネルギーであれ聖慈の存在を私の身体で感じられるだけで幸せに満たされる。
「今ここ」では、身体同士が共振共鳴していく様子を感じることができる。
これが右脳優位状態。
聖慈も私のエネルギーを繊細に感じ取ってくれているので、言葉で説明しきれなくても通じ合えている確かさがお互いの中にある。
自分が左脳優位で考え事で頭が満ちていると、一緒にいても繋がっている感じが得られなくて漠然とした不満足感や淋しさが残るし、深く分かり合えている感じがしないのだ。
Oshoの本を昨日読み返していて、なるほどなと思う一節を見つけた。
以下要約
私たちは普段身体を意識することがほとんどなく、痛みがある時だけ思い出す。
頭痛が来れば頭を感じ、怪我をすればその部分を感じる。
痛みを通してしか思い出さないから、身体を悪者にしてしまうのだ。
しかし99%の時、身体は健康で幸せである。なのに意識を向けないからその99%の幸せを感じることができないのだ
ネドじゅんさんも、右脳回帰して身体に意識があると細胞たちの生きる喜びみたいのが上がってくるから何もしなくても幸せとおっしゃっていたのだけど、なるほどそういうことか。
私も身体の下の方からわけもなく喜びが込み上げてくることがよくある。
ご注文いただいたら、そんな理由のない愛と喜びをヨニワンドやヨニエッグにエネルギー転写してから、お送りしています✨
身体がもともと持っている、デフォルトの状態が喜びなんだ。
あれが手に入ったら幸せになれると
一生懸命追いかけて、
不安や孤独と闘って。
でも私たち本当は99%のときは
幸せなんだって😳
好きなものに囲まれて生活することだったり、
さやりんごちゃんの完了ノートで、見たくない家の散らかりや未完了をしっかり完了させるのがなぜ良いかって
今ここにいられる時間が増えるからなんだよね。
見ると気分が下がるものがあると自動的に現実逃避モードに入って今ここから遠ざかってしまう。
未完了は過去と未来を想起させる。
それがなくなればなくなるほど、今ここにいられる。
それが進むともっと今ここにいたくなって、過去や未来に引っ張り込むものを無効化(=完了)させたくなる。
完了ノートは相変わらずサボって休眠してるけど家の掃除は捗るようになり、
ずっと見て見ぬフリをしていたウォークインクローゼットを先日片付けたら、本当に気持ちの良いエネルギーになって、避ける場所から大好きな場所へ変わった。
なんで突然サクサク動けるようになったのかなって思ってたけど、
全ては右脳優位で生きるために、今ここにいられるよう右脳さんが動かしてくれていたんだな。
聖慈がいなくなるのは、言ってみれば自転車の補助輪を外すようなもの。
大好きな聖慈くんというトリガーがなくても今ここにい続けられるよう、
これから修行レベル上げていきます💪💪
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