「私はあなたであり、あなたは私である」とか、
「私たちは一つである」とか・・・。
そうすると「何でもどうでもいいじゃん・・・」
みたいになってしまって
(誰でも彼でも許す、認めるということ)、
釈然としなかった。
だからブレーキを踏んでしまうような
感覚があった。
しかし・・・、
まさに「何でもどうでもいいじゃん」
「誰でも彼でも許す、認める」
となっちまってよかったのだ!
手放しにその罠にはまることこそが、
自我を手放すことに他ならないのでは
ないだろうか?
そして・・・、
「問題は、明晰さが持つ超然とした神秘的な体験や、
自他一体の感覚のせいで、気づかないうちに、
紛争があるのにそのことを忘れてしまうことだ。
だからマルクスは、宗教は人民のアヘンであると
言ったのだろう。」(アーノルド・ミンデル)
そう、そしてその上で私たちは、
一なる存在であると同時に、
目の前の諸問題にも取り組まなくては
ならないのであった。
私はいつもこの「同時に」という立場を忘れる。
忘れるな、忘れるな、忘れるな!!
ある一つの立場や役割にはまりやすい傾向は、
確かにプラクティカルには役立つスキルであることに
間違いはない。
けれど問題は、いつも一つの極(自分の一部)に
はまっている、一致しているところから起こるのだ。
by ミンデル