先程NHK「あの人に会いたい」で、評論家の故・加藤周一先生についてやっていました。
彼は「個人」というものが本当に大切だと仰っておられました。

例えば世界平和を語る時も、ある特定の個人への思いや経験がなくて、
それを語っても、何か上っ面だけのものになってしまう。

戦後、日本国民は大した抵抗や反乱なしに、アメリカ化した。
一瞬前までは「鬼畜米英」と言っていたはずなのに。

これも「個人」がなかったからだ。
ヨーロッパでのレジスタンスは、個人の思いが結集しての連帯なので、結束が強い。
日本の連帯は、上から言われて連帯しているので、仲間はずれにならないように・・・
というような消極的な集結なので、上が変われば、その在り様もすぐ変わると・・・。

彼は大学時代に多くの友人を戦争で亡くした。
「戦争には、僕の友人を死なせるだけの理由が、どこにも見つからなかった。」

この「特定の個人への」強い思いを通して、世界に向けて語っているからこそ、
89歳になっても、彼の言葉には情熱があり、人を動かす力があったのだと思います。

「行動は情熱によって支えられ、情熱は、個人への思いによって支えられている。」
本当に、本当にそうだと思う。

「私は個人のことしか考えられない。」
「私は自分のことしか考えられない。」
と、おなげきの諸君! それでいいのです!
そこはその先へと抜ける、いわばトンネルです。
どうぞトンネルの中で迷わないで! あきらめないで!
その先で、そのエネルギー(特定の個人や自分のことを考えるエネルギー)は、
情熱へと姿を変え、行動できるように、きっとなりますから・・・指でOK

それから先生、「個人の力は小さ過ぎて、いかに無力に感じられようともそれをするのは、
僕にはそれしか出来ないから。」
と仰いました。

この言葉、幾重にも意味深いです。

いかに無力であろうと、「やるべきことはやる」というのが人生のようですし、
「僕にはそれしか出来ない」というものを見つけなきゃならないようですし、
それを見つけた時、「それしか出来ない」と言いながら、「それは無敵である」
ということのようです・・・。