確か「ぼちぼち結論」という養老先生の本がありますが、
結論といいながら、その後もジャンジャン新しい本を出している・・・
とアマゾンの書評に書かれていたのを思い出しました。
でもまあ、先生のそんなご気分、なんかわかるじゃないですか・・・。
私もなんだかそんな気分のステージに来ている今日この頃です。
そして養老先生もそうであるように、またここから、新たな旅がすぐに始まってしまうのですが。
一生で、あと何回くらい「そんな気分」を味わえるのかな・・・?
脱皮するような感覚。
何回もあってほしいな~。 マトリョーシカのように。
今日銀行の待ち時間に手にした雑誌に、料理研究家の辰巳芳子さんが載っていて、いい~こと仰ってました。
「味は付けようったって、付けられるものではない。」
確か、素材に寄り添って教えてもらうようなものだと。
シンクロでしょうね。
今日読んでいたライアル・ワトソンの本にも、こんな件を発見しました。
「マダガスカルを訪れるたびに、私はオンビアシーと呼ばれる現地の治療師たちと話をして、その技術の一端を学ぼうと努力してきた。しかし、たとえば、マダガスカル固有種の植物の葉を春先に摘んで、そこから抽出したものが、彼等の言い方で「ミルク状の血」と表現される病気に効くことをどうして知っているのか、と私が聞くと、返事はいつも同じなのである。「簡単だよ、わしらは植物に聞くんだ」と彼等はいう。」
今日復習していたアロマセラピーのブレンディングでもそうなんです。
ある香りを消そう、直そうというマインドになっている時点で、ブレンディングは失敗するんです。
ブレンディングは相乗であり、決して消去ではありません。
個々を生かさないとうまく行かない。
私たちの社会もそうですよね、きっと。
相乗であり、決して消去であってはなりません。
文明という名の下に、人間は、生物として大切な、膨大なものやことを周縁化して来ていますよね。
アロマセラピー然り、自然療法、代替療法への回帰は、全くを持って自然な流れですよね。
20世紀は西洋医学が大いなる進歩を遂げ、一大体系が築かれましたが、
21世紀は周縁化して来たものにフォーカスし、西洋医学も含め、それら全てを統合した、さらなる大体系が築かれるといいですね。
果てしない道のりではありましょうが。
300年前には瀉血など、今からは考えられないことが当たり前のように行われていたように、
いつの日か「昔はメスとやらで体を切開していたらしい」なんて言う時代が来るのでしょうね。