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「育ちが良さそう」と言われがちな毒親育ち雅胡 です。
人に歴史あり と言われるように
年齢を経るほどに私たちは多くのことを経験し学んでいます。

幸せもたくさん経験しますが、この投稿では
何十年も癒しきれなかった心の奥底にうずく深い傷と、
母子関係の歪みから育ってしまった

面倒くさい感情回路について綴っています。 

いままで誰にも話すことのなかった経験を書くことで

私自身の人生のまとめにもしたいなと思います。
そして、毒親に苦しんだ あなたに伝えたい

  「幸せを、愛を諦めないで 🌈」
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20才の時に出逢った元旦那様とは、それこそ ザ・青春というような甘くて幸せな恋愛を経験したと思っています。
お金貸して~なんて言われることも、殴られることもなく、ただただ楽しくて2人でいつも笑って。

でも、尽くしすぎる・相手を許容しすぎるという私の行動は変わっていませんでした。
携帯電話などなかった時代、私は仕事が終わると大急ぎで帰宅して掛かってくるかどうかわからない彼からの電話を、飼い主の帰りを待つワンコのように待ち、、、
週1のデートも彼が飲み会と言えば翌日まで戻らない彼を、彼の部屋で一人待つ。
遠距離恋愛だったので彼の部屋にいる間は友達に会えるわけでもなく、ただ彼の部屋にいるだけなんですよね。
彼が戻ったら食事を作って、爪を切ってと言われれば切ってあげて。
まぁ、当時はそんな おままごとのような時間に『必要とされている』という間違った満足を得ちゃってました😅

でも、だんだん何か違うような、大切にはされていないような気がしてきたんです。
土曜日に車で1時間半かけて彼の家に行き、翌日まで戻らない彼を待つ。
日曜日の昼頃にのそのそ起き出す彼と過ごして
どこに出かけるでもなく、テレビを観て体を重ねて。
食事を作って彼の部屋を掃除して。
夕方には家路につく生活を1年以上送るうちに、これって自分にとって実りがないのでは?と気づき始めます。

そして、今までの悪しき恋愛パターンから抜け出すために私自身の世界を広げる決心をしたのです。
週末は断腸の思いで(←当時は本当にそのくらいの気持ちでした😝)、
「私も自分の時間を持とうと思うから、デートしたいときは約束して逢おう」と彼に提案します。
そして友達と会ったり、スキルアップの勉強時間に充てたり。
週末の夜は、同僚と踊りに行ったりサウナに行ったり。

私は踊るのが好きで楽しかったですね~♪
当時はディスコと呼ばれていた、そこで知り合った男性と仲良くなったりもして。
恋人が生活の中心であることを辞めないと不毛でつらいから、自分が変わらないといけないって一生懸命でしたね。
いままで彼氏にしか目が行かなかった自分が少し大人になれたような、彼氏に「あなたがいなくても私は生きていけるの」って ちょっぴり見返してやりたいみたいな、そんな気持ちが芽生えていました。
それまで、愛されていると感じていたくて男性に依存していた私でしたけど、その時は私自身で生きている充実感がありました。

そんな生活が2~3カ月続いたころ、逃げれば追いたくなる男心からか、私に男友達もいると知った彼からプロポーズをされます。
「結婚を前提に、こっちで暮らさないか」と。
結婚は30才までしないと公言していた彼だったので驚いたけれど、私も本当は大好きな人だったから嬉しくて嬉しくて。
ついでに寿退社できることも嬉しくて。(←これまた依存。経済的依存💧)

やっと本当の愛を手に入れた
そう心から、深く深く信じていました👼