ホテルの一室でTVから映画「ひまわり」のテーマ曲、「Sunflower〜Loss of Love〜」が流れてきたとき・・・もの悲しいメロディに涙が浮かび、その状態を維持するかと思いきや、ピアノ演奏が進むにつれて悲しみが胸の奥からどんどん溢れ出し、しばし慟哭。まさに「悲しみが止まらない」!そしてその夜は一睡もできなかった。涙は時々流れては枕を濡らす。こんなことは今までになく、自分に驚く。どれだけ涙が溜まっていたのかと。
かなり前に映画を見たときは、ここまでの悲しみには陥らなかったのに。一体何故。
また、電車の中でモーパッサンの小説「女の一生」を読んでいて、主人公のジャンヌがお母さんの死に直面する場面の時。涙がつーっと頬を伝い、止まらない。周りの人に気づかれないよう慌てて下を向いてやり過ごす。幸い乗客は少ない時間でじっと見られたりはしなかったものの。
他にも主人公に不幸なことは色々起こっていたのに。母の死の描写が何故こんなにも悲しいのか。
オペラを聞いても、どこか郷愁を感じ、しばしば涙が流れる。
今生では生き別れたパートナーがいるわけでもなく、両親も健在。ただ幼馴染みや特に子供の頃の友人、同僚など別れは多く経験してきた。皆、予想外に早く引っ越したり家庭環境からグレていなくなってしまったり、相手か私が転職や海外赴任したり。
今まで会社を辞めるときには別れが辛いばかりに、最終日お休みされたり泣かれたりしたことも何度かあったな。そのときは、今まで一緒にいて心地よさを感じてくれてありがとうという気持ちと、そんなにがっかりさせてしまってごめんなさいという気持ちが混じり合って複雑な心境だった。勿論、笑顔で送り出してもらったこともあるけれど。
兎も角、「別離」とはかくも辛い物なのか。私の悲しみは、いくつもの別れが蓄積してきたものなのか、それとも別次元や別の人生(所謂過去世)で強烈に体験したものなのか。はたまた別離以外のたくさんの重なった悲しみが吹き出しているのか。分からない。悲しみは肺に溜まると言うけれど、本当に悲しいときは胸が痛くなるようで感情が胸から溢れ出る感覚。音楽や言葉がそれを大いに喚起し、また癒やしてもいると感じる。
別離の悲しみは、これからも同じ関係が続いていくと思っていたことが断絶されることへのショックかもしれない。そして形而上学的な見方ではソウルメイトが欠けることによる魂の喪失感があるのかも。とりわけ関係が深かったり二度と会えなかったりする場合には。でも、悲しみ続けることが執着だということも分かっている。
ドライなようだけれど、別の見方をするとすべてがすべからく進行していると考えてみたら。例えば「ひまわり」でジョバンンアとアントニオは戦争で「引き裂かれた」のではなく元々結ばれない運命だったのだと無理にでも俯瞰してみる。
短い期間で会えなくなった仲間たちは、元々会う運命ではなかったのだけど、「何故かラッキーな番狂わせで」一時出会うことが出来たのだと考えてみる。ひまわりの花は「太陽」や「夏」の明るさをイメージさせるけれど、一斉に光の方を向いてグルグル回るってある意味滑稽で物悲しい。「別の見方をすると」ということである。
勿論一旦味わった壮絶な想いや傷は簡単には癒えない。一生癒えないかもしれない。でも人生のドラマに強固に、あまりにも長期間引きずられると自分が壊れていく・・・。
