周りも自分の中も観察していると、ふとそんなことが頭によぎる。
皆、心に余裕もゆとりもなく、人の目が気になり、神経をすり減らしながら、
気を使わなくていい気遣いをして、疲弊していく。
比べたり、好き嫌いや厳しい基準(高すぎる理想など)、それを人にすると言うことは、
少なからず自分自身も誰かにフィルターをかけられていると思ってほしい。
同じになれないのに、集団バイアスがかかり、はみ出してはいけないと必死で、
本来の自分とのズレを感じながらも、見て見ぬフリをして、ストレスを抱えきれないくらい、
いっぱいいっぱいになっている。
自分は【安心を求め】、意見が違っても合わせて、はみ出さないように、、
はみ出した人を見ては、自分は【安全だ】と、はみ出した人を【悪者にする】
はみ出した人が、何か悪いことをしたのか?
そんなことは関係なく、ただ皆と少し違った見方や行動をしただけで、
みんなで【ターゲットを作る】
自分が標的にされないように、毎日ビクビクして、人の顔色をうかがって、
嫌われて【ターゲットにされないように】日々神経をすり減らす。
余裕がないから、毎日仕事で終われ、冷静に判断することも面倒で、
考えたくないから頭の容量は、省エネモード。
余裕が生まれないと【人に優しくなれないから】
関わる人とも【限定的に】なっていく。
【避けろ】【逃げろ】は一時的なら良いけど、いつまでも逃げたり避けていたら、
免疫がつかなくなっちゃって、成長もそこで止まってしまう。
自らの体験できるチャンスを捨てる。
ストレスに弱くなる。
タイトルのお話をすると、これからの時代、自殺者は増えていく気がする。
そして、優しい人から死んでゆくのだと思う。
競争社会、弱肉強食になっていくと、優しい人から【淘汰】されるのだと思う。
寛容になれない、助け合いより能力結果主義の先を行くと、特に日本人は優しい人から死んでゆくと思う。
あと、社会的弱者の人も。
日本という国から日本人が【消えてゆく…】