昨日の夜のことだったと思う。
だったと思うと書いたのは
私は今、ある原稿に取り掛かっていて
頭の中がいっぱいでよく憶えていないからだ。
ため息をつきながら
何度も止まる指先にはっぱをかけ
あっちこっちに息抜きに行く。
そっちの方が長い。
まずはツイッター。みんな元気につぶやいている。
次は…っと。
何気なくフェイスブックを開けると
知人があるサイトをアップしていた。
2011年東日本大震災「南相馬市被災馬現況調査報告書」
年が明け
2013年になってようやくこの報告書ができあがったのかと
時の流れが早いんだか遅いんだかわからない感覚に包まれた。
そして
その時は
おそらく丁寧に書かれていると思われる
報告書の内容を見るのが怖くなり
今日のお昼過ぎ
遅めの食事を済ませてから
ようやく読んでみることに。
ここまで腹を決め
覚悟をしなければ
私の場合
気持ちが入りすぎたり
揺らぎすぎたりして
最後まで読めなくなってしまう。
先日も
とある歴史書を読んで倒れそうになったばかりだ。
「わぁ、大きな字…」
そのPDFは
やや大きめの字で書かれていて
私はマウスだけ手に届くようにして
身体をパソコン画面から離し
人さし指だけを慎重に動かした。
被災当時に南相馬市で繋養されていた
功労馬35頭の震災直後の動向と現在の様子
そして
飼養者の現状を調査。
野馬追の馬や甲冑
民家と一体になった馬屋
あまりにも有名になった
一本杉などの写真があり
私はまずそこで立ち止まる。
こうして被災地の写真をみるのは
久しぶりのような気がした。
生き残ることのできた馬たちの姿。
とりわけ一番下の左側の写真は
(読み進めていくうちにブレーブテンダーという馬だとわかった)
瞳がキラキラと輝き
耳が元気にピンとしたいいショットだなと
しばし見入ってしまう。
馬の写真を見るとき
傍にいる人間が写りこんでいる場合
私はほとんど気にならないというか
見えていないことが多いのに
飼養者の姿も
今回ばかりはしげしげと見つめていた。
調査期間は
2012年11月からとなっている。
驚いた。
とても驚いた。
嘘のように遅いと思った。
同時に無理もないとも思った。
でも
何だかやりきれない。
南相馬市、鹿島区、原町区、小高区。
それらの地名が記載されているはずの地図もあったが
なぜか文字がつぶれていてよく見えない。
私は地図を見るのが大好きなだけに
とても残念に思えた。
まだ何かあやふやで
鮮明に描けないデッサン画のようにも見える。
地図の中に円形の線が走っていると
無意識に身構えてしまっているし。
心して読む。
「家ごと家族ごと馬も一緒に流された」
「海岸には功労馬以外の馬が100頭以上亡くなっていた」
私にはもうこの1ページ目の内容で十分だった。
少し画面から離れて
また戻って
はなをかんで…。
これを数回繰り返してようやく最後まで読むことができた。
なんてへなちょこなんだ私は!
みんなこんなに頑張っているというのに!
泣くな!
「野馬追を礎にして生きていく」
さすが1000年続いたお祭りの威力は違う。
ひとのこころを
ゼロよりもはるかにマイナスのところから
ぐんと高い場所まで押し上げて行ってくれる。
積み上げてきた歴史がそう簡単に崩れたりしないのは
ひとのこころの基礎がしっかりとしているからだと思う。
文化や神事、教育はそのためにあるんですね。
ここに書かれている報告書は
南相馬市の功労馬に限られての内容だけど
それ以外の馬たちはどうしているのかが気になった。
私も1頭のオープン馬を引き取ったせいなのか
「それ以外」の「そのた大勢」はと思ってしまう。
どなたか調べてくれる方はいるのだろうか。
余計な心配を。
昨年の野馬追は
386頭が参加し
159,700人の観客を集めたと書いてある。
夏の暑い盛りのお祭り。
昨年は宿がないと伺って断念したが
今年はどうにか調整して
南相馬の地に立ち
生の野馬追をこの目でみてみたい。
ふるさと案内所サイト
http://uma-furusato.com/news/detail/_id_70776?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
だったと思うと書いたのは
私は今、ある原稿に取り掛かっていて
頭の中がいっぱいでよく憶えていないからだ。
ため息をつきながら
何度も止まる指先にはっぱをかけ
あっちこっちに息抜きに行く。
そっちの方が長い。
まずはツイッター。みんな元気につぶやいている。
次は…っと。
何気なくフェイスブックを開けると
知人があるサイトをアップしていた。
2011年東日本大震災「南相馬市被災馬現況調査報告書」
年が明け
2013年になってようやくこの報告書ができあがったのかと
時の流れが早いんだか遅いんだかわからない感覚に包まれた。
そして
その時は
おそらく丁寧に書かれていると思われる
報告書の内容を見るのが怖くなり
今日のお昼過ぎ
遅めの食事を済ませてから
ようやく読んでみることに。
ここまで腹を決め
覚悟をしなければ
私の場合
気持ちが入りすぎたり
揺らぎすぎたりして
最後まで読めなくなってしまう。
先日も
とある歴史書を読んで倒れそうになったばかりだ。
「わぁ、大きな字…」
そのPDFは
やや大きめの字で書かれていて
私はマウスだけ手に届くようにして
身体をパソコン画面から離し
人さし指だけを慎重に動かした。
被災当時に南相馬市で繋養されていた
功労馬35頭の震災直後の動向と現在の様子
そして
飼養者の現状を調査。
野馬追の馬や甲冑
民家と一体になった馬屋
あまりにも有名になった
一本杉などの写真があり
私はまずそこで立ち止まる。
こうして被災地の写真をみるのは
久しぶりのような気がした。
生き残ることのできた馬たちの姿。
とりわけ一番下の左側の写真は
(読み進めていくうちにブレーブテンダーという馬だとわかった)
瞳がキラキラと輝き
耳が元気にピンとしたいいショットだなと
しばし見入ってしまう。
馬の写真を見るとき
傍にいる人間が写りこんでいる場合
私はほとんど気にならないというか
見えていないことが多いのに
飼養者の姿も
今回ばかりはしげしげと見つめていた。
調査期間は
2012年11月からとなっている。
驚いた。
とても驚いた。
嘘のように遅いと思った。
同時に無理もないとも思った。
でも
何だかやりきれない。
南相馬市、鹿島区、原町区、小高区。
それらの地名が記載されているはずの地図もあったが
なぜか文字がつぶれていてよく見えない。
私は地図を見るのが大好きなだけに
とても残念に思えた。
まだ何かあやふやで
鮮明に描けないデッサン画のようにも見える。
地図の中に円形の線が走っていると
無意識に身構えてしまっているし。
心して読む。
「家ごと家族ごと馬も一緒に流された」
「海岸には功労馬以外の馬が100頭以上亡くなっていた」
私にはもうこの1ページ目の内容で十分だった。
少し画面から離れて
また戻って
はなをかんで…。
これを数回繰り返してようやく最後まで読むことができた。
なんてへなちょこなんだ私は!
みんなこんなに頑張っているというのに!
泣くな!
「野馬追を礎にして生きていく」
さすが1000年続いたお祭りの威力は違う。
ひとのこころを
ゼロよりもはるかにマイナスのところから
ぐんと高い場所まで押し上げて行ってくれる。
積み上げてきた歴史がそう簡単に崩れたりしないのは
ひとのこころの基礎がしっかりとしているからだと思う。
文化や神事、教育はそのためにあるんですね。
ここに書かれている報告書は
南相馬市の功労馬に限られての内容だけど
それ以外の馬たちはどうしているのかが気になった。
私も1頭のオープン馬を引き取ったせいなのか
「それ以外」の「そのた大勢」はと思ってしまう。
どなたか調べてくれる方はいるのだろうか。
余計な心配を。
昨年の野馬追は
386頭が参加し
159,700人の観客を集めたと書いてある。
夏の暑い盛りのお祭り。
昨年は宿がないと伺って断念したが
今年はどうにか調整して
南相馬の地に立ち
生の野馬追をこの目でみてみたい。
ふるさと案内所サイト
http://uma-furusato.com/news/detail/_id_70776?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter