この前日記に書いたけれど。
今働いてる障害児デイサービスの所長の奥さんが言った言葉を時々思い起こす。
うちの子は知的があるから社会に出さなくて良いと思ったら、私は楽だわって思ったのよ。発達障害で療育手帳がとれない子供(人)は、そのまま社会へ出さなきゃならない。それはとても大変だと思う。
「障害を持つ」という共通項では寄り添ってあげられるけど、同じではないからなかなか難しいよね。
この女性のしなやかな強さに私はこのとき感銘を受けたのは間違いない。
所長と彼女の息子さんは毎日事務所に来るから出勤した時はいつも会うのだけど大変だということは一目でわかる。
時々怒ると父親でも押さえきれないし、彼女も全力で力業を使ってる。
おとなしいときはとても可愛くて、笑った顔なんか、私から見たら純粋過ぎて泣きたくなるくらい可愛い。
でも。
育ててくるのがどんなに大変だったかは想像することはできる。
障害児デイサービスに通ってくる子は基本的に知的障害がある。
そこにプラスしていろんな特性を持つ。
親御さんのご苦労や辛さはいかなものかといつも考えさせられる。
特に小学校中学年から中学生までは思春期も重なって本当に大変だ。
この「大変だ」は、文字で打つと3文字だけど、その中身はとてもとても書ききれるものではない。
それでも彼女は手帳を持たない発達障害児を育てる苦労をおもんばかった。
泣ける。
そもそも、重い、軽いは誰が決めるの?
「あの子は軽くていいよね」
或いは大人の発達障害でもそう。
「あの人はきっと軽いからやれるのよね」
そんな比較は無意味だと私は思う。
どんな程度でも、それが【障害】である以上、その子、その人、に向き合う周囲の想いはとても苦しいと思うし戦いだと思う。
また知的がない障害児(障害者)は、知的に問題がないゆえに言葉で表現できない苦しさに悩む。
サポートも少ない。
一人一人がそれぞれの立場で、それぞれのかたちで、声にならぬ叫び声を上げて戦っていると思う。
他人を羨むのは簡単だが、そんな思考回路にいるうちは絶対にあるはずの「自分だけの幸せ」を見つけることも難しくなると思う。
私の軽度ADHDは(或いは育った環境で出来上がった特性)、日常生活で時々問題を起こす。子供との関わりでもいろんな問題を起こしてきたと思う。もちろん夫とも。
私には「愛着障害」なるものもあるようだ。これは結構なshockを受けた現実だった。
後天的なものだけれど。
自分の特性が家族や大切な周りの人間にどれほどの迷惑をかけているのか正直自分でも把握しきれていない。
私は自分が気付かないところできっとたくさんの人を傷つけてる。
それを考えると自分の価値などたちまち見失う。
それでも私は戦う人でいたい。
息子とも、夫とも、
誰より自分自身とも。
それだけASDを理解していても旦那さんのことは受け入れられないの?
所長の奥さんが言った。
これは私の現在の一番の課題だ。
ほんとはずっとわかってたことだ。
息子は受け入れられるのに、と。
まだ戦いの最中。
誰かと比べて重い、軽い、という考え方は嫌いだ。
私も戦っている。
今はただそれが真実。
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