今日がChristmasですが、なんだか呆けています(笑)。
昨日で終わったから。
祭りのあと的なこの呆け感。
ツリーを片付けて、今度はNew Yearの準備ですね。
いとは終業式だけど、現在まだ登校できていません(;^_^A。
行ってもすぐ帰ってくる感じじゃん(笑)。
それでも行こうとするだけ良し、か。
今日は仕事が休みで嬉しいけれど、夜には旦那が帰ってくる。
やだなぁ。
今日も明日も旦那がいる。
それから旦那がいとを連れて旦那の単身赴任先へ行く。
やだなぁ。
いとはあおのようにおとさんに呆れるとかまだないからいーのかもしれないけど、ほんとはおかさんはやだ。
言わないけれどね。
あおは、いとがおとさんとこへ遊びに行くと言うことを白い目で見てた(^o^;)。
おとさんが絡むと全てがめんどくさくなる。
今回だって最初にいとと約束してた日にあとから歯医者の予約入れて勝手に予定変えてたし。
こっちの予定はスルーなんですよね。気づきもしなければ考えてもみないんです。
ひとつひとつがほんとにカチンときてしまうので自分に疲れます。
でもそんな私の気持ちはまるで伝わらないわけだけど。
求めるからだめ!
ってことなんですけど、………はぁ、もうどうにかして(笑)。
いちいちカチンとくるのはやめにしないとなぁ。流せたらなぁ。
他人なら期待しないわけで。
他人に戻して欲しいです。
やっぱりこれが本音ですね。
昨日のケーキで思い出したけど、あおが幼稚園生くらいだった頃、誕生日におとさんは帰れないってことが何回かあって(予定調節するとかなかった。当時の仕事場はとても近かったのに)、その中で忘れ難い記憶があります。
まだお友だちもいなくて、その日のあおの誕生日はあおと私の二人だけで祝いました。
あおはおとさんがいないことを淋しがって、小さなホールケーキのまわりに、当時大好きだった仮面ライダーのフィギュアを並べ出したんです。
何体か並んだライダーの人形と私にお祝いされてあおの誕生日は終わりました。
なんて味気ない、と思いました。
楽しいはずの誕生日が、寒々とした光景に見えてしまったのでした。
別にあおは気にしなかったかもしれないけれど、私の気持ちは煮え切りませんでした。
まぁ、おとさんが子供の誕生日に帰れないくらい、そんなことは何処の家でもあるのだと思うのですけれど、……うーん、それだけの問題数なのではなく、そーゆー細かい色んなことの積み重ねだったかなと思うわけです。
例えば、こちらの寂しさとか、こちらの希望とか全く興味がない。
それを指摘しても「そんなことはない」と絶対に反論される。
「そうかもしれない。お前の言う通りなのもしれない」
と自分を省みることがない。
そして、省みない自分を自覚しない。
いや、自覚できないんですね。
だから求めても仕方ないわけで┐(´д`)┌。
話すと疲れきってしまう。
話し合いが出来ないわけですよ。
でも本人は充分話し合ってる、とか、私がおかしいとか、一件理論的に言い責めてくる。
もともと理路整然と話すことが苦手な私は彼の理論で追い詰められる。
そうすると最後には「私がダメなんだ」と思うようになる。
これってね、本人にはその意図も、意思もないけれど、精神的DVじゃないんですかね(;´д`)。
最近そう思います。
障害者への理解を、というのはよくわかります。
私だって理解したいからいろいろ調べてあおを療育してきました。
でも自分のメンタルを破壊してくる相手(夫)に、一体何処まで理解しようと努力しないといけないのでしょうか。
じゃぁ夫はこちらの心の傷を理解しようとしてくれるんですか?
そこは障害のせいで出来ないわけですよね。
こちらにしてみたらこんな理不尽はないんです。
あおは自分の障害と向き合って、自分に足りないものを自覚して、私の心情を考えようとしてくれます。わからないなりに。
そしてわからないときははっきりと「ごめん。わからないよ」と言ってくれます。
でも夫は違う。
だから余計に苛々してしまう。
17年しか生きていない息子がどれほど努力しているかを知っているから。
でも46才の夫はなんなんだ?と。
今日帰ってくる。
それだけで私の心は鬱々としてしまう。
仕事の日は眠くなるので飲めない方の安定剤を今日は飲むことにします。
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