去年だったか、今年のはじめだったか…。
テレビで親子の話題で何かをやっていて、親は子供のためならなんでもする、って話になった時に、あおが言いました。
「なんで親は、親ってだけで我が子のことになると自己犠牲すら平気なの?命すら投げ出せるの?そこまでするほど大切なものなの?正直僕にはその気持ちは欠片もわからないし、僕はそこまで自分を犠牲にして親を大切にしたいとも思わないし出来ない」
あおの意図したかったことがなんなのかは私にはわかりませんでした。
親へのささやかな反抗だったのか、障害特有の自分以外の人間に(あおの場合には時に自分にすら)興味がないことから出た言葉なのか、或いはその両方なのか。
私は少しショックも感じましたけれど、子供ってそんなものだろうとも思いました。
それをいちいち口に出して親に言う子供は少ないかもしれませんが、子供は自分中心に世界が回ってなんぼの中で生きてますから。
たぶん私も、子供時代は親なんて二の次だったと記憶してますし(笑)。
むしろ私は、子供は親を踏み台にして、踏みつけてでもその先へ行って欲しいと願っています。
親のことなど顧みずに我が道を前へ前へと突き進んで欲しいのです。
親を食い物にしても。
私にとってはそれこそが親孝行に思えます。
あおが私を顧みずに踏みつけてでも自分で掴みたいと望める未来を見つけてくれたら嬉しい。
私はあおが、普通の年頃の男の子たちのようにお洒落したり、家より友達との付き合いで遅くまで帰ってこなかったりしてくれたら嬉しくてたまりません。
道を踏み外すくらいのことが有っても良いと思ってるくらいのバカ親です(笑)。
けれど、昨日の夜、あおは17年の中で初めて自ら私の肩揉みをしてきました(笑)。そして今日は仕事から帰ると家事の一切をしてありました。いとと協力してやったそうです。
たぶん私は昨日すごく疲れたひどい顔つきをしていたのだと思います。
頭も痛くて心が疲れて、疲れて疲れてどうしようもないくらいに疲れて。
それを見ていてあおなりに(いとも)気を使ってくれたのだと思いました。
息子たちが家事を手伝わなくて、「ちょっとくらいやってくれてもえーやんか!」と大声だしていた日々だったのに、突然のこんな態度に私は戸惑いました。むしろそうやって怒鳴りながらも、これでいーんだろうと思ってました。怒鳴られて渋々手伝う息子たちでいいと。
もちろん、家事ができることは必要なスキルですので覚えて欲しいんですけど、無理に気を使わせてしまってなのだとしたら、私は母親としては情けないような気持ちになりました。
親のために自分の気持ちを抑えて何かをするなんて、あおらしくないじゃないか。
私がカサンドラでいると、子供の世界を狭めて、子供の未来を摘んでしまうのではないかと思いました。
アスペルガー父より、カサンドラ母が子供たちに与えてしまう影響は強すぎます。
育児の答えが何処に転がってるのか私は知りません。
でも、あおやいとの自己肯定感を奪ったのはくそ真面目でゆうずうがきかない私の性格。
そしてカサンドラで壊れてしまった私の心を見た二人は、その未来までも私のせいで狭まってしまうかもしれない。
だったら何故子供を産んだ?
今日は私がずっと胃痛なのです。
ストレスだとわかっています。
子供たちが、親は二の次で良いのだ、と思ってくれるくらい、私は自分の心に余裕を持ちたい。
そのために出来ることを少しずつ変えていきたいと、今日は改めて思いました。
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