改めて児童相談所のご報告です。
さて、いとくんはパソコンでマインクラフトを友達と通信中。
※いとは、マイクラとかレゴとかマリオメーカーとかが大好き。マイクラは教えてもいないのに勝手にタグ打ちして、マイクラの中でゲームを創ってたりして、驚愕したことがあります
何処でタグ打ち覚えたの?って訊いたら、んーパソコンの中で、って………は?って感じでした。子供って凄い((( ;゚Д゚)))。
あおくんはなが~いお風呂をenjoy中~
(買ってきたお土産はChristmasにあげます
児童相談所。
虐待を受けた子供が保護される場所。
私のイメージはこれだけしかありませんでした。
そこへもってきて最初の電話対応が悪かったので、もうマイナスイメージ大きすぎてしまってパニクったわけですが、行ってみるとそんなことはありませんでした
待ち合いにいると、時間通りに、まずは社会福祉士のお姉さんが来られて、にこにこ
談話室へ案内されて、一対一で90分のインテーク。
私から見た、いとの情況を、家族の状態も含めてお話ししました。
①学校へはどの程度行けてるのか?
②いつから行けなくなったのか?
③行けなくなったきっかけは?
④起立性障害の診断はいつ受けたのか?
⑤発達障害のテストはいつ受けたのか?
⑥普段何を考えているようすか?
⑦お友だちとの関係については?
⑧親子関係、兄弟関係については?
私が私の知りうる限りのいと情報を提供したと思います。
次回はいと本人とこの社会福祉士さんといと専属の臨床心理士さんだけで、いとから見た家族や学校、お友だちとの関係について面談するようです。
そして発達障害テストを受けたあとで、児童相談所専属のお医者さんを受診して、発達障害があるかないかの結果を頂き、それに沿ってサポートをしていくそうです。
発達障害がなくても、起立性障害があるだけでもろにサポート対象になるそうで、【いとくんの事案は当児童相談所がお引き受けいたします】と改めて言われました。
これから中学、高校とずっと児童相談所から学校へと連絡が入り、本人が登校できなくても無理に登校を促さないように、すべてのお話が共有されるそうです。
だから、学校との連携は心配する必要はないとのこと。
あおの時もこの手を知っていたら、私はもう少し楽だったのかもしれません。あおのときは、小学校と中学校で情報共有も申し送りもなされていなかったので、中学入学後が大変だったんです(;^_^A。
児童相談所は、発達障害や病気で登校が難しい子供のサポートをしてくれる場所でもありました
小児科で言われたのと同じように、起立性障害は大人になるまでサポートが必要で、学校へ行けないことはたいした問題ではない、と言われました。
いつから朝からちゃんと登校できるようになるのか?などという質問は愚問である、という感じでした。
小児科と児童相談所から同じ見解を聞かされたので、私の中でも、それならば腹をくくろうという気持ちが固まりました
そして、学校の先生の立場と医者やカウンセラーの見解は、立場の違いもあり必ずしも一致しないとのことでした。
でも無理して行かせないでください、とのことなので、今のままで良しとします
考えてみたら、身長がちっとも伸びなかったちびすけのいとが、無理して朝から動かなくなってからその身長がぐいっと伸びたんですよね(笑)。
そんな話もして笑っちゃいました( *´艸`)。どんだけよ。
野球もよかれと思ってやらせていたけど、辞めたことは体には本当に正解だったようです。ただ、メンタル面でプラスになったこともあります。
野球では失敗してもすぐに気持ちをきりかえて次の打席、次のイニングへと向き合わないと本当に負けてしまいます。チーム全体への責任もあります。
失敗しても前向きに切り替える、というのはいとが苦手とする部分なのですが、学校ではこれができてると担任から言われました。
だとしたら、それは野球から得られた宝物だと思っています。
決して無駄ではなかったということです。
そんなわけで、私はあの子のしんどさの度合いがわからないものですから、やっぱり自分の度合いでしかはかれなくて、ついつい一時間でも早く学校へ行かれないかなぁ?なんて言っちゃってたの、全て間違いでした
私もすっぱりと切り替えましょう。
で、まぁ、あおの話や夫の話も出ました。
社会福祉士さんでも、夫の話をしたら苦笑されていました(^o^;)。アスペルガーである、とはもちろん言いませんでしたが、私がどれだけ孤独で苦しかったかはすぐに理解を示してくださいました。
「育児はお母さんがお一人でやってこられたのですね」
と言われてホロリ
やっぱり夫とは離れるべきだという見解でした。夫がいないと平和ですと言ったら、「そうでしょうね
離婚のことや母子避難のことなどもお話をしてくださいました。
そして言われたのが、
【なにがあっても、お母さんが必ず子供たちを守るという姿勢でいらして頂きたいのです】
というかなり真剣な言葉でした。
「私は感情的に子供たちを怒ったり、苛々してトゲトゲしたり、叩くこともたくさんあります。お父さんみたいで怖いと言われたりもしました。自分のしてることは虐待ではないのか?と思うこともよくあります。怒っては後悔して、後悔してるのにまた怒ってしまう、そんな自分が不安定で情けないのです」
という、私にとっては一番言いにくい話も、さらけ出して話しました。言いにくいけれど言いたかったことでした。
もう自然に涙が出ていました。
「お母さんのそういったことも1回ずつ減らしていけるように私たちがお助けします」
笑顔でそう答えが帰ってきました。
子育てが始まってからの17年と9ヶ月の間の私が、自分で自分を縛り付けた枷がはじめて少し外れだしたような気がして、また泣けました。
夫が私や猫に奮った暴力の話をしたときも、その暴力を目の当たりにして抱き合って泣く子供たちの描写を報告してる段階で涙が止まらなくなりました。
話していて気付いたのは、私は自分に対して暴力を奮われたことはもちろん腹が立っているし、恐怖を感じていますが、それよりものその時の子供たちの様子のことの方に遥かに傷付いていたのです。
発達障害を持つあおが、障害を持ったあのデリケートな心で、それでも幼稚園児のいとを、弟だと認識して、必死で全力で抱き抱えて二人で寄り添って泣いていた光景が私のトラウマになっていたのです
夫と子供たちだけになってしまうとき、(私が入院したとかで)不安ならば子供たちは児童相談所か、養護施設でお母さんの退院まで必ずお守りします、ともおっしゃっていただきました。
児童養護施設の詳細も頂きました。
また、母子相談を受け付ける行政機関が区役所に存在すること、すぐに経済的に自立できなくても、夫から離れたい場合は母子寮が存在すること(そこに、生活資金がたまるまで住まわせてくれるのだそうです)も教えていただきました。
たくさんのお守りと逃げ道を示していただいたように思います。
ただただ泣けました。
私が緊急入院したとき、夫が何も対応できなかったことについては、「思い当たりませんか?突然起こる変化に対応できないという特性…」と言われて( ゚д゚)ハッ!となりました。
なぜ気づかなかったか。
ムカつくあまり気付けなかったのです。
あおのときに散々見てきたのに。
あの人は、突然いつもと違うことが起こると対応できない人だったのです。
考えてみれば、育児でも私の事でも突然ハプニングが起こるとすぐにお母ちゃんに丸投げで、仕事があるからで済まされていました。
もちろん出来ることはしてくれたこともあったのですけど、おそらくどう対応したらいいのか、彼はわからなかったのですね。悪気はなくね。
これは府に落ちました。
頼りになるわけもなかったのです。
臨機応変な対応こそが、夫がもっとも苦手とする部分だったのですから。
そして、結婚して子供を得るということは、臨機応変にしなくてはならないことばかり。
ましてや、子供にも発達障害があったわけで尚更。
もう私には関係ないですけれど、夫にとっても結婚はもしかしたら、とても過酷なものだったのかもしれません。彼なりに本気で頑張ってたつもりだったのかもしれません。
私にしたら災難でしたけれど
どちらにも災難だったのかな。
夫も可哀想なのかもしれませんね。
暴力や勝手な借金を許すつもりは毛頭ありませんけれど。
私は孤独の中で心を壊しメンタルを病みました。
お薬も今も手放せません。
彼が可哀想なのだとしても、だからといって私はこれ以上自己犠牲は払えません。
だって子供たちにはまだ母親が必要だと思うからです。
私が今最優先すべきは、子供の心身を守ること。
その為に離婚が必要になるならもちろん離婚する。
でもほぼ別居になってる現在ならば、まだ我慢が出来るから、もうしばらくは彼にお金を頑張ってもらおうと思っています。
子供の将来のために。
「お母さんが勇気を出して児童相談所へと繋いでくれたお陰で道が開けていくのですよ」
最後に福祉士さんがそうおっしゃってくださいました。
Team ITO
2016年より始動します。

そうそう、私が買ったフロートキャンドルです。↓キャンディみたいで可愛いでしょ

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