あと少ししたら仕事に出るのになぁ
今日は件数少ないのでいーんですけどね。
風邪だけ引かないように気を付けねば
(既に鼻水垂らしてますけど)
さて。
只今17才(高3)のあおですけども。
ASDあーんどADHDの混ざった男でございます。
最近でこそ、おとさんの件もあり、自ら「僕のどーゆーとこが変?ASDとどんなとこでADHDはどんなとこ?」と訊いてくるようになりましたが、
多分、本人は語りませんでしたが発達の告知から今日までの間に多大な葛藤もあったのではないかと推測されます。
小6くらいから「僕は周りとなんか違うみたいやわ」と言い出し始めたので、私としては障害名は出さずに、違う部分があることは認めて説明してたと思います。
広汎性発達障害、という名前自体は中学に入ってから出しました。
学校のフォローが必要でしたので、本人にハッキリ自覚してもらう必要があったからです。
それに対してどれだけショックだったのか、はたまたあまり考えなかったのかは、本人語らずなのでわかりません。
中2の頃は一番荒れて、小4で死にたい連呼されてましたけど、それ以上だったかと思われます。
携帯は真っ二つに折るし、VITA?は投げて破壊するし、自室にヒッキーするし(笑)。
でも毎日同じ行動をとりたい人なので、余程でないと学校を休むことはありませんでした。
運動能力は並外れて低く、体育祭やマラソン大会等は泣いてました(;´д`)。
私は無理強いはしなかったけど、学校行事ってのは、めんどくさいけどとにかく理由はなくやらなあかんねん、とは言ってました。
だって社会出たらもっとですもん
嫌なことはやらなくても許される、と思われたら困るなぁと考えていたので。
クラスも荒れていたので、学校行きたくない病はかなりありました。
人と接したくない、もありました。
でもあお的には学校休む=習慣が崩れる罪悪感でなかなか休めないわけです。
ただ、精神的に追い詰められたら話を聞く人は担任も養護の先生もスクールカウンセラーもいるよ、という安心感を与えるため、学校とはかなり密に関係を作ってましたね。
あと、割りと救いだったのが美術部の顧問がすごくあたたかい人で、あおのことをよく気にかけてくださったことでしょうか。
学校との連係プレーを確立できたのは5月の連休明けくらいからでしたけどね。
まぁ、私頑張ったよな!と今なら思います
中学のあおは、中学ならではの厳しくて阿呆らしい校則に従わねばならないことは苦痛のようでした。私も苦痛ですけどね(笑)。
私は校則とかあまり気にしない方だったので(爆)。むしろ呼び出されてた人なので
それがなんぼのもんじゃい、みたいなのはありました。
むしろあおのが真面目ですね(笑)。
中学になるとみんな途端に行動範囲が広がります。学区外にも平気で行くようになります。
でもあおは出来ませんでした。
友達同士のお泊まりも、バスでたった7分の最寄り駅までも一人では行けず、部活の仲間と中心部の繁華街などへ行くと青ざめて帰ってきてました。
小学生の時のように、パニックや緊張で同じ場所をぐるぐる円を書くようにまわったりするようなことはなくなりましたが、家族以外の人間との外出は苦痛のようでした。
夏休みの宿題もめんどかったなぁ。
思春期ならではのめんどくささ、性的な問題など、あげればきりがないです。
この頃のあおの絵は、人間の女の子が傷だらけで血を流してるような絵ばかりでした。ま、中二病、中二病、と思ってましたけど
中2の終わりから急激に仲良くなったヤンキーくんとの付き合いあたりから成長し出して(以前の日記に書いてます)、世界が少しずつ広がりました。
友達の力は偉大なり❗
親なんか太刀打ちできない偉大さです。
そして悪魔のような受験期間を乗り越え、高校合格。
高校も最初通うのが大変でした。
バスと地下鉄使うので、人ごみも苦手ですしね。
帰りに本屋とかに寄ってくるとかも全くできず、同じ道のりを往復するのに精一杯。定期券すら使うことに緊張で、大丈夫かな?と不安になったものです。
もちろん学校側にフォローは求めていましたけども、もう高校となると自分で乗り越えてく力をいい加減つけねば、とも思ってたので極力手出しはしませんでした。
高3となり、今は大学も決まっててきとーにやってますが周りの子がサボろうが相変わらず自分はサボれないあお。
でも高校は義務教育ではないから本格的にダメだと思ったら気持ちよく休みなされ、と教えてからは自分で加減を見て休んだりも少しはできるようになってます。
今となっては学校帰りのより道、友達とお泊まり、なんでもこいです。
融通はききにくいですけども。
ただ、去年は私の祖母が倒れて生死を彷徨ったことがあり、先に実家に来ていた私が、急遽あおといとを呼び寄せねばならない事態が起こった時に、あおは大パニックを起こしましたね。
要はいとをつれて二人で新幹線で神奈川へ来いというものだったのですけど、
それは出来ないと大騒ぎ。
急に言われても無理、と。
でもばーちゃん死んじゃうよ!って言ったけど泣きわめいて無理でした。
いとの方が、ぼくがお兄ちゃんを連れて行くと言ったほど。
結局旦那に頼んでつれてきてもらったけれど、来てからも私の実家での寝起きや、姉の一家との食事などが出来なくて、吐き気すらもよおすという事態に
いつもと異なる情況はほんとうにあおのリズムを狂わせ、心を押し潰してしまうのだな、と再認識した出来事でした。
でもそのおかげで次に急遽ばーちゃんがってなったらもう行けるよ、と言えるようになりましたが。
一度体験してしまうとなんとかなるみたいですね。
従姉妹たちとご飯が一緒に食べられなかったことを気にして、空気を悪くしたんじゃないかと自分を責めるのも凄かったです。
ADHDも入ってるので変なとこで空気読んで無駄に自分を責めるんですよね
ま、めんどくさいです(笑)。
それでも全体としては小学生の時から考えたら凄い進歩してるんですよね
こんな風に落ち着いてくることができるなんて、中2くらいまで想像できなくて、悲観してたこともよくありましたから。
療育や、まわりのお友だちの成長、カウンセラーなどの力で、発達障害児もこんな風に育つのです。
細かな変なとこはたくさんありますけどねぇ~
小さなうちから発達がわかって療育されてるお母さんたちの励みになれば嬉しいです。
私もあおと一緒に落ちて抱き締めて泣いたことは数知れずですし、ハッキリ言ってきつかったです。
でもそんなあおが大好きな絵を描くために、芸術大に合格し、来春から大学生です。
芸大なんて面白い生徒がたくさんいそうで、(教授も)わくわくしてしまう私です。
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