それまでの私は、初めての子育ての中で、あおが標準なのか、非標準なのかなんてわかりませんでした。
そりゃそうですよね。
そもそも子供の標準ってなによ?て話だし、初めての子育てなわけだし。
まわりの子と比べたときに、ん?あれ?
ていうのはありましたけれど、それ以上深く考えることもなかったです。
幼稚園が始まるまでは。
だから、あおが奇行に出たり、暴走したりしたら当然怒鳴って怒って、叱って、時にはゲンコツ、時には平手打ち、お尻もパンパン❗やりまくりました。
けれど、幼稚園が始まってからは会話が噛み合わないことが辛くなってきました。
叩いたって噛み合わないものは噛み合わないし、理解してくれないものは理解してくれないし、興味ないものは興味ないし、私はよくあおの目の前で子供のようにわんわん号泣しました。
なんで?
なんでわからないの、あおっ!
なんでなのーっ?
てな感じです
今思えば実に残念な母親な感じです( ̄▽ ̄;)(笑)。
もちろんそれだけ泣いてもあおは私が泣く意味がわからなくてきょとんとしてるか、怖すぎて一緒に泣くかでした。
マジで苦しいんですよねー
これって、下手したら首絞めちゃうお母さんいると思いますよ。
私はあおを窓から落としてやる!と思いましたし。
で、実際はどうしたかと言うと、座布団を二、三重に重ねて柔らかさを確認してから、「お前なんか落としてやる!」と言って、座布団上10cmくらいからポスッと落とすんです
もちろんあおは面白がってキャッキャッと笑ってるんですけど、私の心は泣いてましたね。
ポスッ
ポスッ
たった一人の部屋で、見知らぬ土地で、私はそうやってあおを座布団に落とすのです。
なんていう悲しい光景でしょうか。
今タイムスリップしてそこへ行けるなら、私は自分とあおをハグしてやりたいくらいです
そして、9才であおの診断を受けたとき、担当医から言われたのは「怒鳴ったり、叩いたり、怒ったりしてはいけません」でした。
説明を受けて、そうしてはいけない理由は理解できるんですよ?
先生の言ってることはもっともだし、それまでの経験からも、怒っても何も伝わらないことはわかってましたし。
でも私は万全な母親じゃありません。
頭の隅にはいつも怒鳴ってはダメと、あるけれど、やっぱり感情的に怒ることはたくさんありました。
多分私が結構厳しく接したのであおの自己肯定力は低くなってしまったんだと思うし、そこは今17才になったあおにごめんね、などと言ったりしてコミュニケーションはかってます。
あおがどう思ってるかはわからないけど
けど私は、あおについては【発達障害だから親は感情的に怒鳴ったり叩いたりしてはいけない】はナンセンスだと思っています(個人的見解 ケースバイケース)。
もちろん叩くことは良くないのですけれど、叩かなければわからない痛みがあると思うからです。
発達の子供は推測が苦手です。
定型の子供もそうだと思いますが、叩かれる痛みを知らないと、容赦なくお友達を叩く可能性があると思うのです。
それと、母も人間だということ。
感情的にもなるし、間違えもするし、バカなこともするんです。
親は常に正しいなんてことを、子供に思ってほしくありませんでした。
だから私はあおにも自分の感情を隠さず剥き出しで接してきました。親にムカついて親を批判してくれたら良いと思っていました。
もちろん適度にセーブはしてましたけどね(笑)。
理由はよくわからないけれど、お母さんが怒っているからここの場面でこれをしてはダメなんだな、とか、これは危険なことなんだな、とか、こう言う言い方したら相手は不愉快なんだな、というのを、私が怒ることで伝えてきたと思います。
真摯に向き合って話し合いもしましたし、喧嘩もしましたし、笑ったりふざけたり、……感情の交換を、喜怒哀楽全て、あおとは向き合って出してきました。
それが、正しいとは言いませんが、10才のあおと、17才のあおは、他者への理解力という点において、随分と後天的に訓練されたなぁと実感しています。
発達障害は治らないと言われますが、療育という訓練によって、また加齢によって、後から学び変化するものがあるのは事実です。
だからこそ、早めの発見が必要なのだと、何度も言いますが、本当にそうなのだと思います。
障害と聞くと絶望しますが、一番わけがわからなくて生きることに困るのは発達障害者本人なのです。
それが我が子ならば、生きづらさを少しでも緩和してやるために、障害の事実から目をそらしてはならないと私は考えます。
生きづらい原因=障害と言われる部分
なのですから、そこをサポートすることで生きづらさを緩和できるわけです。
障害を、障碍と書きなさいとか、そんな表面的な文字の問題など私にはどうでもいいてすし、あおも気にすらしてません。
大切なのは障害者本人がいかに自分の弱点を自覚し、他者からどんなサポートを必要とし、そのサポートに対して礼儀として感謝できるかということ。
そんなこと、障害者だけでなく、定型の人だって同じことですけれどね。
自分の楽しみを持ちながら、一人の社会人として、お金を稼いで生きていけること。
私はあおにそんな将来を手渡してやりたいのです。
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