モモコのことは今でも思い出す。
20年も前だけど。
それでも他にも泣くことが沢山あったのでなんだかんだ継母の連れてきた猫を可愛がった
歴代様々猫がいたが父や継母の意にそぐわないときは蹴られていたので私が撫でて痛いの痛いの飛んでけーやってあげてた
半ノラのような飼い方だったので自由度は高かったと思う
もちろん餌やりや風呂の世話は奴隷の私の仕事だった
当時の私の仕事
継母は家事は継母父弟の3人の洗濯と夕飯だけ作っていた
父親が朝ごはん食べられないタイプだったし昼は外食だったから夕飯だけ作っていた
土日は昼間父親いたから作っていた簡易的な飯
それでも外食の頻度は異常でした
半分家で夕飯半分外食で夕飯くらい
ま、簡単に言うと継母は月半分の夕飯作りと限定的な洗濯だけが家事だったってわけ
あとは私。
時々気が向いて大掃除(基本的にゴミ屋敷なので掃除となると毎回大掃除)していたが奴隷の私が継母の思い通りに動かないとまた殴られた
殴るときは決まって
殴りたくて殴ってんじゃないんだからね!!!!
しっかりしてほしいから言ってるんだからね!!!
ビンタが多かったが百貫デブの迫力で指にゴツい指輪沢山していたからメリケンビンタだった
時々ネズミのウンチョまみれの押入れにも閉じ込められた
メリケンビンタよりマシだったから一生閉じ込められていたかった