小学校の帰り道スーツを着た男2人に声をかけられた
お母さんいるかな?
いるわけねぇだろこっちは帰るとこじゃ
って今なら言えるけど小学校5年生の時にはもうすでにサラ金への返答方法を教育されていたので
知りません
とすぐ答えられた

そう、その頃は毎日サラ金闇金からの鬼電話鬼訪問裏庭から覗かれるなーんてことが日常茶飯事で追い返すのが私の仕事
。うまく追い返せば継母の機嫌も良かった
虐待は継続されてますからねぇー弟の面倒もずっとやってましたさぁ
学校のイジメもどんどん悪化してきた頃だったのに高学年に切り替わる時に担任が変わり、それが元々高校の先生だったためかわりと放任主義
先生へのからかいや嘘をつくようにいじめっ子に指示され先生キレて私の胸ぐら掴んでブンブン振り回して腕時計当たって唇切れて血吹き出た
おぎやはぎのやはぎによく似た先生だった
もちろん私は不良の嘘つきの宿題やらない問題児扱い
この頃から叱られると魂半分抜くとかいう技を覚え始めた
これが悪化してたらいわゆる多重人格とかになってたのかな?しらんけど
今も叱られると聞こえなくなったりフワァとしてしまうので仕事ではなるべく怒られないように勤めてました

継母は私をつれてあちこち行くようになった
私にそこそこの小遣い渡してデパートに放置して半日以上戻ってこない
パチンコやってたんだと思う
親戚も心配してパチンコやってるんじゃないだろうな?ってちょくちょくパチンコ屋の駐車場巡回してた
言い訳用の道具として駆り出されてたわけですね私は

家では兄の環境が悪化していっていた
ご飯は夕飯のみ
継母本人は悪びれもせずインスタントラーメン置いてあるんだからいいんだよ とのこと
服は穴だらけ
風呂に入らず
歯は磨かないのではなく磨く認識に欠けていた
だがその頃は一般企業の障害者枠で働いており給料は18万と書いていた
あれ?18万ももらってるのになんでこんなにお金ない暮らしを強いられてるの?と疑問に。
そうです継母が使ってました