「自分は鉄の塊を運転している」と

考えることがある。


時折、ハンドルが重く感じるのだ。

いつもと変わらない、

昨日と違うのは

ガソリンの増減くらいでも

そう、感じて、

信号待ちのときに

風景をとても高い視点で

見ているような感覚に陥る。

(実際、軽トラ並みの車高なので高いっちゃ高い)


妙に感覚が尖ってるといっていいのか。


そう、思ったときは

普段よりももっと

気を引き締めて運転しなきゃと

思うのだけど。



自動車の免許証を取ってからの時間がだいぶすごしてきたけど


生活をしていく上で

自家用車のない生活というのは

ここに住んでいる以上

考えられないこととなっている。


甘えといわれてしまえば

そうかもね。

そうかもだよ。


なんとなく、

免許を取るにあたって

教習所は地元ではなく

東京を選んだ。

たくさん車線のある道も、

車がぎりぎりすれ違いできるような路地も

一方通行も路上教習で走った。


車で走りながら(余裕ない中で)、

別段車がなくても困らない土地だと思った。


それほど待つこともなく

たとえ電車を一本逃しても

大きな意味は持たず

ほんの短い距離もバスも走る。


教習所へ通うにしても、

いくつかの路線といくつかの駅

そこから何本も出ているバスとたくさんの選択肢があったから。


「移動手段」に不便を感じることなんでなかった。

買い物だって何だって、電車とバスと自分の足で行動できた。

もちろん、その年齢なりの行動範囲だったからかもしれないけれど。



その感覚で地元に帰ってきたときの衝撃。


自分が育ったここは

自動車がないと

何も出来ない土地だったと悟った。


買い物に行くにあたっても

自転車じゃ冷凍の物を買ってこれなかったし、

お店のハシゴはとてもじゃないけど出来ない。


それこそ、こっちのお店とあっちのお店の値段を比べるなんて

無理無理無理無理!むーりー!!


いまはもう少し便利になりました。


震災後、ガソリン不足の折、

車を使わなければいいじゃない。

公共機関を利用しなさいよ。


そんな意見を多く聞いたけど、

そんな意見を出して呑めるのは

ある程度都会に住む人間だけだと。


公共機関を利用するまでが大変なんだと。



学生(学校に行くまでの距離)と

社会人(職場に行くまでの距離)の違いもあるけれど、

バス利用にしたってバス停までの距離、本数、金額。

電車でも駅までの距離、時間、本数。

そこからの移動距離。

駅まで自転車を利用したとして、その置き場+代金。

ついでに田舎道は街灯も少ないんですよー。


諸々考えてもね。


考えて、自転車や公共機関利用の生活出来るかな?と思えば

出来るかもとは思う。

でも、無理だなぁ。


としみじみ考えつつ。


どう収拾つけたらいいのか判らなくなったので、お終い。

さて、今度の車検は幾ら掛かっちゃうのかなー。

きちんと整備していただいて、安全運転を心がけねば!