人はやっぱり一人ですね。
なんか、そう考えるとむなしいなぁ・・・。
越えられない一線って意外と近すぎて困ります。
頼れやしない。
他人の心配は当て外れ。
心外なこと言われてショックがないわけじゃない。ただ、反応しないように見せてるだけ。
でもさ、そう見せるってことは 結局誰にもわかってもらえないんだよね。
それでも知ってほしいから、でも、アピールすると 「あいつは自分を作ってる」 とか言われるだけに終わるんだよね。
ある人でね、人を深く考えすぎる癖(?)のある人がいるんですよ。
いっそあそこまで疑ってかかって、でも表面は笑えたり、たまには本気でそんなことを言えたりする人がいいなぁ と思ったりするわけです。
子供のうちに何でも相談できる人を一人、二人つくりなさい。
これがどれだけ難しいかなんて 分かってないんでしょうね。
一生、全てを任せられる人なんて見つからなかったりする人もいるのに。
結局は いつも一人。
尾崎放哉の詩に
”咳をしても一人”
というものがあります。
人生の無常観を感じます。
生きる事の意味ってなんでしょうね。
たまに、そう考えるのです。
ただ、死んでしまっては元も子もないのでね。
”人は考える葦である”
ならばこれは生きるしかないだろう。
そして、精一杯抗いて 生きる意味を見出すために生きる。
どんなに少数の人にでもいいから、 「この人がいてくれてよかった」 と、
意味のある生き方をしろということ。
嫌でも逃げちゃァいけないときがある。
だから、堪えられる範囲で頑張っていこう。
いつかその意味を見つけ出せると信じて・・・。