〈蜥蜴の女〉


いかにも薄幸そうな色白の顔をした東北の女。僕は彼女と同じサークルに所属していた。彼女はすでに3年生でもっとも真面目に勉強をしている学生の一人だった。僕は初めて彼女をキャンパスの学習室の前で見た時になぜかおろおろとしてうろたえてサークルを牛耳るOBの男に笑われたのだった。しかし、実際には僕は彼女自身におろおろしたのではなかったのだが、流れの中でなぜかおろおろとしたかたちになってしまったのだ。あまり派手な服装をしておらず、常に質素でタイトな黒いパンツを履いていたイメージがある。彼女は背が低く華奢な体つきをしていた。声は乾いた張りのある少し低い声でしかし声量がなく結果常に小さな声で話をしていた。ぼそぼそとした感じではなくはっきりと言葉を発した。

僕は初めて参加したサークルの勉強会で一発屋の気分で資料を作り発表して歓迎され無事にサークルデビューを果たしたのであったが、自分が属そうとしているサークルがどのようなサークルなのかまだ正体をつかみきれておらず、少し不安だった。親父が死んでからまだ僅かな期間しか経っておらず毎日半分やけくそな気分で生きていた。僕はひたすら真面目に勉強し、中学、高校時代に大量の読書で脳に詰め込んだ知識を整理し体系化しようとそのことに真剣に取り組もうとしていた。精神的に不安定で神経衰弱気味で僕は時に生ける屍のような姿をさらし先輩やクラスメイトを驚かせた。

僕は高校時代のトラウマにより酒を飲まなかったが当時から喫煙しておりよく大学の喫煙所にいたものだ。ある日、よく行っていた大きな喫煙所の一つが閉鎖された。理由はその喫煙所でマリファナを吸った学生がいるからで、確か海外からマリファナを密輸入して逮捕された学生がその喫煙所でマリファナを吸ったことが直接のきっかけだと噂されていた。僕は図書館にいることがもっとも多く文学全集や精神医学の学会誌を好んで読んでいた。いまでも、ジョルジュ・バタイユの文学全集を地下の図書館で読んでいたことを覚えている。僕は図書館の地下に寝袋を持ち込んで泊まりたいと思っており今それを思い出して夜の牛丼屋で少しニヤけてしまった。僕はまだクラブにも行ったことがなくたまにバーやレストランで飲み会があるときも酒を飲まなかった。僕はもともとアルコールにあまり強くなく当時は抗うつ剤をのんでおりそれらの理由で酒を飲まなかったのだ。

さて、女の話しに話を戻そう。僕は女の乾いた潤いのない砂漠の爬虫類の生物の鱗つきの皮のような感性をおそれており、しかし、その感性が当時の私の感性に類似していることに気づいていた。女もそのことに気づいており文化祭の打ち上げの飲み会のあとベロベロに酔った彼女は私の親指を掴んで言ったのだった。「あんたは私の弟と同じ年だ。私の弟は施設にいるんだけど、色々と思うことがあるんだよね。隅垣は私の弟分として…」。弟分という言葉に完全にシラフの僕は戸惑ったけれど心の中で「確かに当たっている」っと思った。しかし、全く動じていないふりをした。女は背が低くかったので僕にしがみつくようなかたちになり、いきなり泣いた。同じサークルに属すHという一つ年下の長身のバンドをやっている男が「あーあ。悪いなぁ。女の子を泣かしちゃダメだよ」っと言った。僕はちょっと勘弁してくれと思っていたけれど相変わらず動じないフリをしていてしかし僕の心臓は激しく脈打っていた。それほどまでに、僕は女の感受性と自分の感受性が似ていることを恐れており全身の神経が張りつめ身震いがする思いだった。

女は瞳孔の開いた大きな目をしていた。比較的整った綺麗な顔つきをしており、地味ではあるが夜の街に出れば男には困らなかっただろう。しかし、彼女はなかなか男を作ろうとはしなかった、男を寄せ付ける色気というものがなくほとんど化粧もしておらず男を寄せ付けない何かがあった。女はこのサークルを牛耳るOBと僕を自分の理解者としている節があり僕らが3人になると本音でものを言ったものだ。僕はなんて不幸な女なんだと思っていた。彼女の感受性は極めて幸せを感じにくい感受性で弟がダウン症なのと彼女の肉体の弱さがそれに拍車をかけていた。その姿に自分が重なって見えた。

僕らは自分の追い求めるものに対してできるだけストイックであろうと思っていた。そして、僕らは(おそらく)極めて強い意志を持っておりその意志の強さ故に不器用でいつも苦しかった。僕らは当時、誰に対しても一歩も引かなかった。僕は誰よりも強い男になりたかった。ヤクザ者相手にも引かなかった。花見で隣の不動産会社のグループの柔道をやっているという180センチ90キロはありそうな大男が僕らのグループに執拗に絡んで先輩に覆い被さるようにネックロックをかけて周囲が止めても離さなかったことがあったが、この時に真っ先に彼に向かっていったのは僕だった。もっとも、彼の会社の人間は彼の酒癖の悪さをよく知っておりみな先に帰って彼だけが取り残されていた。

さて。さて。僕は本は読んでいて自分の意志に対して忠実ではあったけれどいわゆる真面目な学生ではなかった。大学3年の夏休みだった。ある日、女からメールが届いた。一言、「いい加減にしなよ」。その言葉は完全に僕の心に響き僕はおそろしいくらい青ざめて思ったのだった「もう、大学は辞める」。まるで、蜥蜴に睨まれたような感覚だった。


3.20.2018