今日は、電車に少し揺られてデパートでちょっとした買い物とウィンドウショッピングをした。チタンピアスと、プチプラのファンデーション。私は、ブランドと言うブランドを持たない。化粧品も洋服も、ぜーんぶプチプラ。値段がするものを買っても、結局は劣化してしまって使えなくなってしまったり、流行が過ぎたら身につけなくなってしまう。洋服に関しては、良い状態を維持することが面倒だし、歳を重ねていくと体形が変わってしまい着られなくなってしまったり…。だから、安くて出来るだけ長く着られるものを選ぶ。メイクもこだわりがなく、出来れば毎日すっぴんで過ごしていたい。

 ずぼら、なんですかねぇ。

 最近、趣味だなと感じるものは、料理、日記をつけること、タスク管理。料理は、初めて正社員で働いたが精神的に追い込まれ、仕事を辞めざるを得なくなってしまい退職し、約1年間パソコン教室と料理教室へ通っていた。1年間休んだ理由としては、療養のためもあったが、苦手なパソコン操作に対する抵抗を払しょくしたいという気持ちや、手先が不器用だった為、それを克服するために料理を始めた。

 パソコンにしろ料理するにしても、人に出来ない自分をさらすのは初めの頃は恥ずかしかったが、先生も仕事としてやっているし、うまくやる気を引き出してくれるため、当時まだ若かった自分はどんどんやっていくうちに面白みを感じてきて、結果パソコンは資格を4つ取った。料理に関しては、料理・パン・お菓子の3つを暇があれば予定に組み込み、すべてマスターした。今では、夕食はほぼ毎日作っている。

 こうしてブログを開設してパソコンと向き合う時間は楽しい。だから、これはもしかしたら趣味の一つになるかもしれない。料理も、病院から退院した母親の代わりにやっているものの、全くそれを負担だと思っておらず、むしろ安い食材を買い調理することは大変だけれど楽しい。クックパッドを見たり、本を見て作ったり、料理教室のレシピをもとに作る。体調管理と精神衛生の面も考え、野菜中心に作っている(きちんとした栄養士から言わせるとどんなものかは分からないが)。

 今は私は仕事をしておらず、そろそろ仕事探しと応募の方をどんどんやっていこうと思っているのだが、特に料理と向き合う時間は大変だけれど面白い。でも、それが生きがいかと問われるとそこまでではないかもしれない。

 なぜ、私が「趣味」と「生きがい」というタイトルをつけているのか。それはある日を境に区別し始めるようになった。

 

 2021年9月23日、秋分の日。台風が日本列島に接近した翌日である。台風のあとはたいてい晴れるので、どうにか綺麗な景色を見られないものかと思っていた。毎年、夏になると鎌倉へ行って、木々や海を眺めたいという気持ちが沸き起こってくる。しかし、不幸にもコロナの影響により遠出することはなかなか出来ない。母親の代わりに家事をやることや、調子に対して敏感になり、以前とは異なる言動にイライラしてついきついことを言ってしまう。同居している叔父も、もう高齢者でだんだんと人の手を借りなければ生活することが困難になってきており、言動もだいぶ弱弱しくなり、認知機能の低下か同じようなことを何度も言ったり、聞いたりしてくる。もし、何か大きなことが起こってもおかしくない状況にとりあえずあって、母か叔父いずれのどちらが倒れたりしたら、私が全面的に面倒を見なければいけなくなる。他の兄弟は結婚して家を出てしまったから、そういった介護に関することは同居している私にかかってくるのは当然なのだ。

 オリンピックもあったけれど、丁度その時に叔父が他者に迷惑なことをしてしまい、その対処に追われたり、今後母親と家を出ていくにはどうすればよいのか、ネガティブな感情も相まって悩みに悩んだ。叔父や母親に何かあったら大変だと思い、行動範囲も近所で過ごすことがほとんどになり、以前のように電車を使って長距離移動することもなくなった。

 母親の些細なことに対しても、イライラしてしまい、つい言ってしまう。その繰り返しだったため、本人のしたいようにすればよい。そう思った時、思い切って一日遠出してみようか。そんな流れで鎌倉へ日帰り一人旅に出ることにしたのだ。

 

 鎌倉のどこを回ったとか、そういうこともタイピングしたいのですが、それは置いといて。日帰り一人旅する前に、ネットで「なぜ人は旅をするのか」という情報を見たが、もともと狩猟をしていた人間は移動生活をしていたため、それが本能としてあるらしい。料理を作ることや、お使いなどをやっている時は確かに楽しくてやりがいがあるが、それに対して価値観が変わるほどのものを見出しているわけでは無い。でも、旅は特別。木々や海など、自然を堪能する以外に、何と言っても寺や神社、屋敷跡、芸術に触れることで、昔の人の生活から現代にいたるまでの人間の普遍性のようなものが感じ取れるし、特に武家屋敷やお城を見ると以外にも小さくて、そこから昔の日本人の生活ないし身長や装いは、小さくこじんまりしていたのではないかと主観的ではあるが想像力が沸き起こる。大自然を見ることだけが旅ではなく、その土地の風土や歴史があるからこそ、人々が根付いて定住し、栄えるのだなと、良い歳になった私は考える。

 

 久しぶりに歩き続け、階段もずいぶん上り下りしたせいか、足腰に疲労があったけれど、その疲労感でさえやはり旅の良いところで、また年齢を重ね、体力が鈍ってきてしまったのかなと反省もありつつ驚きつつ。でも、もっともっと旅をしたくなったのは事実。本州から離れ、四国へ行ってみたいなと思っている。私は、おそらく結婚しないだろうし、そもそもこんな私となんか付き合いたいなんて思う人もいないだろう(笑)。だからと言って、あまりけばけばしくなりたくないし、異性に積極的に絡んだりしたくない。人が幸せになるのは喜ばしいことだけれど、自分なんか幸せになることは無いだろう。

 とりあえず、次の旅に向けて、命を燃やしていきたい。そのように考えている今日この頃。