七夕の曲と言えばドリカムの「7月7日、晴れ」あたりが定番なのだろうが、個人的にはこの時期よく聴くのはこの曲。「七夕」という言葉は一度も出てこないけれど。

 

もう一度だけでいい
もっと自由なはずさ
僕たちは誰かの心を傷つけても
どうしようもないよね
どうしようもないんだよね
飲み込んだ言葉は
溜め息にもならない

 

この「どうしようもなさ」のなんと我儘で儚いことよ。それが何となく自分のココロのなかで七夕の物語とつながっているのかもしれないな。

 

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一方でこの時期のアメリカと言えば、もう終わってしまったけど7月4日の花火。

 

そこかしこでlocal government主催の打ち上げ花火が上がる。日本のように何千発も打ち上げることは無いから長くても30分程度で終わってしまうものの、SF Bayに面した近所の花火大会は結構気合が入っていて見応えがある。問題は日没が遅いので夜9時を過ぎてから始まるのと、とにかく寒いんだよね、夜のベイエリアは。ダウン着てみる夏の花火って…

 

Photo by Cedric Letsch on Unsplash

 

そしてなにより哀しいのは、トシをとると時間が経つのが加速度的に速くなって、最近では4th of Julyの花火を見ると「あー今年も終わりだなー」って思うし、冗談抜きで前半に比べて一年の後半は時間が束になって過ぎてく感じがすること。

 

ただ僕はまだマシな方らしく、日本にいる同い年の友達の一人はゴールデンウイークが来ると今年も終わりだと感じるらしい。やれやれ、ほっとくとそのうち節分が終わると今年も終わりとか言いだすんじゃねーのか、オイ。


花火と言えば、大昔(でもこの、年齢比例型時間加速装置の効果でそんなに昔には感じないのがなんとも…)デートで初めて花火大会に行ったときのこと。

日ごろからアタマの悪さを遺憾なく発揮していた僕は、それまで打ち上げ花火というのは円状に開くものだと思っていた。球ではなく円、つまり二次元で平面上に展開するものであり、見る角度によっては楕円だったり、最悪直線のように見えるものなのだと。

それがだよ、実際に見てみたら思いっきり三次元に開くじゃん。そうか、そうだったのか…だからどこから見ても丸いんだな。スゲーぜ、打ち上げ花火!などと、彼女と見る初めての花火なんてことは既にどうでもよくなっていたのだが、そんなことに感動しているのを話した瞬間ただでさえ安かったオレ様の株がさらに暴落することくらいは分かっていたので黙っていた(笑)
 

あの頃は、夜も今よりずっと過ごしやすくて、彼女を後ろからハグしながら港の上に打ちあがる花火を見ていた。帰ってからも微かに彼女の残り香がしていたっけ。