思い出のパッカパッカ | そらうまのブログ

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私の少年期の頃家の長屋の端っこに馬小屋がありました。

 馬が丁度1頭入れるほどの小屋で、

自分の家の馬がいなくなってからはしばらくは藁を収めておくところになっていました。

そこへ馬小屋を貸して欲しいという方がでてきました。

近くの山の雑木を切って下ろす仕事をするから貸してほしいという申し出でした。

この地方では「山師」という職業で製材所に雑木を売って

山の持ち主にいくばくかのお金を払うという計算です。

そして小屋に入る馬は普通に見る馬ではなく、

「力馬」というお尻の大きな相撲取りのような仕事馬が来たわけです。

 学校から帰ると、

「明日から山師が来るのでちゃんと挨拶をしなさい」

と親から言われました。

その日が来て山師のおっさんから

「ここの家の子か?」

「はい、こんにちは」

「毎日来るから、頼むど」

こんな会話から馬を毎日見る日が来ました。

小屋の脇には仕事用の馬具や山仕事の道具がきちんと整理されていました。
 
目が優しくておとなしい馬でした。

学校帰りに山で仕事をしている馬が遠目に見えて、

ランドセルを道端に置いて山に登ると山師達から

「危ないから帰れ」

と叱られて、思わず山の仕事場から隠れて馬の仕事を見ていした。

木を束ねて、一気に下ろすときは鼻の穴を開けて、

体中から湯気が出ていました。

足元は泥だらけで、肩やすねにはかすり傷が沢山ありました。

仕事が終わる頃を見計らって先に山すそで待っていると、

馬が息を荒らしながら降りて来ました。

いっしょに家の小屋まで帰って今度は餌の支です。

ヨモギの葉を揉んで傷にすり込んで手当てをする山師は

「痛いかあ、よしよし」

と繰り返しながら馬に声をかけていました。

 毎日学校の帰りに見る山の仕事場の風景は少しづつ変ってきました。

木が倒されて山の地肌が多くなり、馬の仕事もそろそろ終わりです。

半年が経ったころ、

「おいちゃん、今度はいつ来る?」

「もう来んど、ぼうず、勉強して立派な人間にならにゃ、元気でのお」

そのあと涙が止まりませんでした。

すると

「馬に乗せてやろうか」

と私を馬に乗せて一時の間歩いてくれました。

それが終わると小屋の掃除をして帰り支度を始めました。

支度の手伝いをしながら泣いていると

「もう泣くな、おいさんも泣きとうなるわいや」

その会話が最後でした。

 馬の背中には大きな竹かごを両脇に、

餌を食べていた桶、水を飲んでいたトタンのバケツも、山の仕事に使う馬具も、

背中に積んでパッカパッカと歩き出しました。

当分の間大きな道筋まで付いて歩いて見送りました。

 「おいちゃん、さいなら」

おじさんは、振り向かずに手を振っていました。

馬は、悲しむでもなく、喜ぶでもなく、ただただ淡々と山師と歩いて帰りました。

 昔の同じ山を見ていたら、ふと思い出しました。