ベルイマンから学んだこと
逝去された20世紀最大の映画の巨人、ベルイマン。彼の映画は時として苦痛を伴った。演劇をみるように映画をみることを求めてくる。北欧の独特の内省的な時間が流れる。しかし苦痛は映画をみる苦痛というより描かれる人間の苦悩そのものが苦痛にみちた現代人のテーマを扱っていたからだ。
「ペルソナ」で映画の撮影機(キャメラ)がスクリーン(我々の視界)に向けて迫ってくるシーンが思い出される。モノクロームの濃度が濃い見事な撮影技術。
「野いちご」の老人の苦悩は、後年アラン・レネの映画「プロヴィデンス(摂理)」でさらに深化していったのではないか?「野いちご」がなければ、「プロヴィデンス」は生れなかったろう。
「沈黙」だったと思う。深夜の市街地に戦車が通る。ベッドサイドのコップがカタカタ揺れだし水が震える。その不安はデビッド・フィンチャーの「セブン」では地下鉄の走行に揺れる部屋という形で受け継がれる。
多くの映画人がベルイマンから学び、ベルイマンは映画の中に偏在した。
彼の映画に、日本の若者たちがふれることを願う。いまでは図書館に貸し出し用として用意されている。
偉大なる映画人、ベルイマン。安らかに眠ってください。