💎人生は一度きり🌈🌺


lomilomiセラピストを目指して修行中🌺🌈


文鳥とダイヤモンドフィンチの

2羽の小鳥さんと暮らしています🐦🐦🥰



#最近撮った写真は


今や日本のみならず 世界の #ランドマーク

大阪の #梅田スカイビル


コロナが明けて外国人観光客も戻り、

いつ行っても様々な国の方がたくさん訪れています。



Aloha🌺🌈😊

昨日の日曜日はこちらの36階で

オーケストラの合奏練習がありました🎻



なんといっても眺めが素晴らしいです✨😍


私は某アマチュアオーケストラに所属していて、

団員は普段は会社員や医療関係者、教師、専業主婦、弁護士、経営者など、様々なお仕事をしており、

週末に集まって練習します。



フルオーケストラで総勢80名ぐらい


このオーケストラには

10年ほど前にバイオリンで入団したのですが、

その後チェロに転向し、今はチェロパートに所属しています。

チェロはバイオリンの大きなもので

座って弾く楽器です😉


転向した主な理由は顎関節症でした🎻

(バイオリン、ビオラ弾きにありがち?)


バイオリンとの出会いは小学1年の時で、

お友達のお家に遊びに行くとお兄ちゃんが習っていて練習中で、

その時バイオリンという物を初めて間近で見て、わぁ凄いなぁ✨と 羨望の眼差しだったと思います。


そのお家は豪華なお金持ちというわけではなく、

団地住まいでいらっしゃいました。

失礼ながら子ども心に

「普通のお家でも習えるんだ♬」と

希望を持ったことを覚えています。


そうこうしていると同級生でも

習っている女の子が居て、

人形やぬいぐるみにも興味を示さなかった私が、

珍しく何度も親に「バイオリン習いたい」と

言ったらしく(自分は覚えていませんが😅)

その子と同じ先生の所に

習いに行くことになりました。


それが私と楽器との始まりです。


ところが自分で言い出したにも関わらず

「練習しなさい!」と親から言われるたび、

小学生のうちに早々にバイオリンが嫌いになってしまい、

やめるやめると言いながら

のらりくらりと高校3年の中頃まで続けていましたが、

「受験だから」という大義名分のもと、

ようやく辞めたのでした(^^;;


親は音大に進んでほしかったようで

たいそう残念がっていましたが、

私は「やっと解放された」と喜ぶ

不届き者。。。

今となってはそれが土台になっているので、

うるさく言いながらも続けさせてくれた親には

心から感謝しています✨🙏☺️



ただ、それが反面教師となり、

子どもに「やれ」と言うのは逆効果で

芽を摘むことになるんだな、と学び、

その点は自分の子育てに活かせたかなと思います。


一緒にやるか、

口出しせず見守る子育てを心掛けました。


バイオリンは成長に合わせて

何度か楽器を買い替えなければならず、

我が家は普通のサラリーマン家庭で

弟も2人いたので、

金額面でも苦労をかけたと思います。


そして高3で辞めてからは暫くバイオリンを弾かず、

何年もケースが開けられることはありませんでした…。

可哀想なバイオリン🎻🥺


再び弾くことになったのは

子どものプール教室に付き添っていた頃、

26歳ぐらいだったかと。

プールを上から見学するフロアで3歳の息子が泳ぐ姿を見ていると、

バイオリンの音が聞こえてきて、

見に行くとレンタル室があり

バイオリン教室をやっていました。


「そう言えば昔習っていたなぁ」と

思うぐらいでしたが、

何度かプールに付き添ううち、

この見学の時間に習えるんじゃないか、

と思いつき、勇気を出して

レッスン室の先生に声をかけてみました。


それが再びバイオリンを

習い始めるきっかけでした。


今でも年に1〜2回バイオリンを弾きます🎻

肩に乗ってるのは文鳥のマリーです💗


途中で会社勤めを始めた理由から

通うのが難しくなり、

その教室は3年ほどで辞め、

自宅に来て頂く先生にかえて、

32歳ごろまで合計5年ほど習ったかと思います。


ですが当時は子育てと仕事で

いっぱいいっぱい💦

練習もままならず、オーケストラ入団に

辿り着くのはまだまだ先の事でした。



続きはまた書きますね😉


ここまで読んでくださって

ありがとうございます💗😌


mahalo🌺🌈(ありがとう)




 

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