ルンバがなぜかわいがられるか。

そこにすごい秘密を見つけました。


これから書く内容は

ルンバと暮らす人達の書き込みです。


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ルンバは働き者です。

文句も言いません。

ただひたすら、部屋の中を掃除します。

あちこちでゴツンゴツンとぶつかりながら

そのたびに方向を変えます。

たまに充電が切れて部屋の真ん中で息絶えています。


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ルンバがうまく掃除できるように

床に極力物を置かないようにしました。

以前より部屋が片付くようになりました。


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ルンバがちゃんと移動できるかどうか心配で

たまに様子を見ています。

時々コードや段差で動けなくなっているので。


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まあ、大体こんな内容です。


ルンバはあまり賢いロボットではないようです。

でも、ある意味とても賢いロボットです。

なぜって「人の手を借りることが上手なロボット」だから。


掃除しやすいように片づけてもらい

段差があまりないように考えてもらい

仕事ができなくてもかわいいと思ってもらえる。


もし、ルンバが一人で完璧にこなすロボットだったら

「私とルンバが一緒になって」部屋をきれいにすることはありません。


「掃除は任せたね」と言って終わりです。


できないことをかわいいと思ってもらえたのに

完璧にできたからといって感謝もされません。

「できてあたりまえ」です。


私とルンバの関係は

「協力関係」ではなく「役割分担関係」になります。


もし私が完璧に掃除する人だったら

ルンバは必要ではなくなり、何の関係もなくなります。


ようするに

「お互いに完璧でない」ことが何かの関係性には必要ではないか

ということです。


足りないから助けたくなる。

助けるから関係ができる。

私たちが本当に必要なロボットって

本当はこういうロボットなんじゃないのかな。

職場にいるシングルさんと仲良くなりました。

「話しかけづらいオーラ」があるのは

自分でも自覚していたそうです。


話してみるととてもかわいくて

笑った顔がすごくキュートで

子供ちゃんのことをとても大切に考えていて

なにかあるとおやつを手に来てくれます(笑)

(おやつで買収された感?にひひ



去年は育休で、今年は時短。


どうも子供ちゃんがよく体調を崩す子らしく

保育園から電話があったり、お休みしたりが多く

育休を取ることにしたみたい。


今年は育休は取れないので時短で働いてはいるものの

保育園から連絡が来たり、子供の体調によっては

仕事を休まなきゃいけない。


ご両親も共働きで、お願いするのは無理。


毎日「今日もお休みします」の更新で

職場での風当たりはあまりよくはありません。

本当は「いいお母さん」のはずなのに

働いてるお母さんは「迷惑なお母さん」になってしまう現実。


お休みが多いことで、貢献度が低いと今年度で契約も解除。

働く意思があっても同じ職場で働けない。

子供が小さい間だけなのに。


「女性も活躍できる社会」には程遠い・・・。

社会が求めてるのは

「男性と同じように働いて、家庭のことは各自でこなせる女性」?


それでも彼女は子供がかわいいと

子どもの声をメールで送ってくれたり

遠足のお弁当だと、かわいいキャラ弁を見せてくれたり

自分の立場がよくないことを、決して子供のせいにはしません。



本当は社内でフォローできれば

安心して看病したあと、また仕事に頑張ることができるのに

職場のみなさんもいつも余裕なく働いています。

誰かのフォローをする余裕もないというのはきついです。


月末は〆もあって、出社するのが怖いと言いつつ

「〆は明日だってよ~」と伝えると

自分の仕事だけは終わらせて、午前中で帰りました。

看病疲れと風邪がうつったようです。

熱を測るときつくなるから測ってないと言いながら

とてもつらそうでした。

帰って爆睡してたそうです。


なんとか終わらせて帰ったと見るか

出てきたと思ったら午前中で帰ったと見るか。

どっちで見れるかは

その人に余裕があるかないかでも変わってくるような気がします。

とにかく忙しすぎる。



確かに社会人としては責任を果たす必要があるけど

みんながそれぞれの立場を考慮してもらえたら

会社にも愛情を感じられるし

変に「仲良くなろう的なイベント」ばかりしなくても

絆は生まれるような気がするんだけど・・・。


「人は減らすけど業績は上げたい」なんて

「長時間働きたくないけど給料は多く欲しい」っていうのと

変わらないんじゃないかな。


会社が「それは無理だろう」って言いたいのと同じように

働く人だって「それは無理です」って言いたい。


社会は家庭に求めるものが多すぎるよな~。

今日はチョコさんのご機嫌がナナメだったのか

散歩に行かないと拒否された。


庭に放してる時に足元を見ると

アリが結構な速さで歩いてて

私の足元で止まって、また違う方向に歩いてった。


その横にはクモがいて

そのまた横にはなんかちっちゃい虫がいて

「虫だー」と思ってたら

クモ、飛びついて食べた。

初めて見た。


ちょっと先では

ダンゴムシがひっくり返ってワタワタしてる。


なんかのどかな朝だな~と

散歩に行かなかったからこその光景だった。



ちなみに、庭いっぱいに

毎年恒例のクモの巣オンパレード。

壊すのもかわいそうだし、ほっといてる。


家の中にも。



り~りの友達に借りた切り絵の本から。


結構きつかった(笑)

風が強かった次の日

駐車場屋根の下に作ってあったクモの巣は

半分くらい壊れていた。


ど真ん中には主であるクモが

なんだかドヤ顔っぽい感じでいばってる。

修理しなくていいの?



庭に行くと、ギンモクセイにも巣があった。

主はちゃんと働いてるみたい。


風で飛んできたゴミを口でもごもごしてて

エサと間違えてぐるぐる巻きにするのかと思って見てたら

確認したあと、巣の外にちゃんと捨ててた。


掃除が終わると巣の修理。


自分の家に必要じゃないものはさっさと処分して

修理すべきところは修理する。


素晴らしいね!



環境に合わせてこうも違うものなのか?


必要に迫られればするけど

余裕がちょっとでもあるとしない・・・


なんか耳が痛いガーン

LGBTについては以前から関心があったけど

この本を読んで、簡単な問題じゃないことに改めて気づいた。


社会が受け入れれば

人が受け入れれば

解決するものだと何となく思ってた。

でも「受け入れる」という考え方じゃなくて

「考え方を根本から変える」ことが必要のようだ。



「男」か「女」か。

どちらかに必ず属さなければならないというのは

曖昧な立場にいる人にとっては

とても受け入れられるものじゃないのかも。


身体が男で心が女とか

身体が女で心が男とか

そういう簡単なことじゃなくて

身体も男と女が存在する人がいるし

心も男と女が存在する人がいる。


私の中にも「ゆらぎ」がある。

女っぽく感じる時と、男っぽく感じる時。

1本の線上で考えると

男-------------------------------女

左はじでゆらぐ人もいるし

右はじでゆらぐ人もいる。

でも真ん中辺りでゆらいでる人もいる。

だから同性を好きになったり、異性を好きになったりする。

私の中では、この辺りの人が一番

「人としてこの人が好き」

という純粋な気持ちが強いような気がする。



初めて知ったのは、

正式な競技(オリンピックとか)に参加する場合

Y染色体があるかどうかで男女の部を決定するということ。


どう見ても女性でしかない人でも

Y染色体があれば女性選手として参加はできない。

どう見ても男性的な肉体を持っていても

Y染色体がなければ女性の部に出場できる。


そういう身体の人がいることは知っていたけど

Y染色体一つで夢を諦めなければならないというのは

とても悔しいことだと思う。


例えばある国の人達が足が速いのは特性であって

それについて文句を言う人は誰もいない。

じゃあ、身体の構造だって特性ではないのか。

そういう疑問をつきつけられて「その通りだよね」と思った。



「男か女か」という問題はLGBT当人でも様々で

「男でも女でもある」人にとっては、また違う悩みのようだ。


「結局みんな、男はこういうもの、女はこういうものって決めつけて

自分とのギャップに苦しんでるように見える」


すごく奥の深い問題なんだということと

考え方の基本がこの言葉にあるような気がする。