今日の新聞に、おもしろい記事があった。


「刷り込み」について三崎亜記さんという方が書いている。





雑誌で懐かしの給食メニューを紹介してて

アルマイトの食器の上に載せられた揚げパンを見て

「懐かしい」と思ったけど

実は給食で食べたことないという衝撃の事実。


誰かが「懐かしい、懐かしい」ということで

自分まで懐かしいと思ってしまう。


そんな風に、自分の過去の経験が

「刷り込み」によって変わっているかもしれないと考えると

恐ろしいものがある。


もし事件の目撃者になって証言することがあった場合

マスコミの情報で「刷り込み」がされたら

見てもいないものを「見た」と言い出しかねない。





といった内容だった。


締めくくりは流行語大賞のことだったけど。





そういえば、三丁目の夕日も「懐かしい」とよく聞くけど

私は懐かしくないんだよね。


懐かしい感じがする、とは思うけど

懐かしいとは思わない。


テレビで「懐かしい」と言ってるのは

実は本当に懐かしいんじゃなくて

自分の知らない時代のことを言ってることも多いのかもしれない。


「そんな気になる」って、実は怖いことなのかも。


「勉強した気になる」とかね(笑)


「掃除した気になる」

「料理した気になる」


雑誌を見てたら結構感じるねにひひ





笑い話にもなるような話だけど

でも本当に自分の過去が自分の中で変えられてたら

やっぱり怖いなぁ。


私の記憶は本当に正しいのか。


「私の記憶が確かならば・・・」


という仮定でしか話せなくなるとか?





ただね、変えられたから幸せに暮らしてる人もいるんだと思う。


だから刷り込みが悪いこととは思わない。


思い出したくない過去をそうやって忘れることで前向きになれるなら

どんどん刷り込んでもらっていいじゃないか!って。


もし、どんな過去もちゃんと覚えていられたとしたら

どんなことにもまっすぐ向き合ったって思ってもいいのかな。