最近、両親の「老い」について考えた。

「老いる」って、言い方がよくないからマイナスイメージがあるけど
本当はどうなんだろう。

年を取るとできない事が増える。

手伝ってもらわなきゃいけない事が増える。

だから、赤ちゃんに返るって言うんだろうけど
同じ「できない」という行動であっても
それに関わる人には同じじゃない。



赤ちゃんがかわいいのは、お世話をしてもらうため。

愛嬌をふりまいて、「ほら、私かわいいでしょ?」とアピールして
自分の命を守ってると聞いたことがある。

できない事がかわいくて、たどたどしいのがかわいくて
お世話しながら「してあげる喜び」を感じ、「弱者を守ること」を学び
私もこんなだったんだろうな~( ´艸`)と幸せにひたる。

言いかえれば、
記憶にはない自分の誕生の喜びと
自分がしてもらってきたことへの感謝と
誰かを愛する喜びを勉強させてくれる存在が
赤ちゃんじゃないのかな。



老人(ご老人?高齢者?どれもちょっと嫌だけど汗)はその反対で
これから自分が歩むであろう未来を勉強させてくれる存在なのかな。

できなくなるという現実を見せつけられるわけだから
普通に考えると、楽しいお世話ではないかもしれない。



急にできなくなる事が増えると
「この前までできたのに・・・」と落ち込む人も多いと思う。

無理がきいた若かりし頃に「なにくそ!」と頑張った人ほど
そう感じるんじゃないのかな。

自分は他の人より頑張れたのにって。

それなりに頑張った人はそれなりのショックを受けるだろうし
頼ってばかりだった人は、やっぱり頼ってばかりになるのかも。

だけど無理をしたからこそ、他の人より早く老いるのかもしれないし
自分の身体はそっちのけだったから、故障個所だって多くなるだろうね。

そういう人ほど、自分はまだまだやれると思って
自分の身体能力以上のことを、まだやろうとする。

大体、60も過ぎて1人でソファを動かそうとか
気持ちは若いだろうけど無理がある事に気付いてない。

孫たちに「おばあちゃんは若い」と言ってほしくて
気力だけで踏ん張ろうとする。

なんか、母への苦言みたいになってるけどっっ。



そういう母に甘えてる私も私だけどね(´・ω・`)



「老い」を感じてまずしなきゃいけないことは
自分を「老人」だと受け入れることだと思う。

私は老人だ。だから、できない事はできない。
できないから、助けてもらお♪

母には特にそう感じてもらわなきゃいけない。

今、たくさん故障がきてるのは考え方を改めるためなんじゃないのかな。

自分は無理がきかないんだってことを嫌と言うほど感じてもらわないと
きっとまた無理をして故障するからね。

奈落の底まで突き落としておかないときっと無理するに決まってるって
神様が病気やけがのバーゲンをしてくださったんだよ。

できないことを認めて、誰かに助けてもらって
「ありがとう」っていう気持ちをたくさん感じながら終われるように、
まさに「仏様」の存在に近づくための過程なんじゃないかな。

むしろ安心して「老いる」ことができるように頑張ってきた自分を
褒めてやってもいいのかもしれない。

1人しかいなかったら老いるわけにいかないもんね。



今は核家族が多いけど、昔はそうじゃなかった。

だから誰もが人の一生を身近に感じてたんだと思う。

無理をしなくても助けてくれる人がいたんだと思う。

私の理想は、ちびまる子ちゃんちのおばあちゃんかな。

家の事はお母さんに任せる。

例え自分の方が早くできるとしても、うまくできるとしても
絶対に口を出さない。

「私がすれば早いのに」と思うからイライラするけど
「これは私の仕事ではないも~ん」と思えばイライラしないし
気持ちよく「お手伝い」ができるんじゃないかな。

してもらえる事がたくさんあるから、感謝したいこともたくさんある。

たくさんの感謝を感じながら終われるって、幸せだろうな。

まるちゃんのおばあちゃんはいつも笑ってるし、楽しそうなんだよね。

それが人の一生だとしたら、老いるのも悪くないかも。