断捨離をする時、「必要なもの」「必要でないもの」「迷うもの」に
分けて作業をしました。
迷うもの。
特に必要じゃないし、なくても困らない。
いわゆる「無駄なもの」。
でも、私にとって大切な何かがそこにあるもの。
実は今年の4月から、「母子推進員」を引き受けることにしました。
り~りが受験と言っても、仕事は昼間だし
赤ちゃんが生まれた家を訪問したり
保健センターで講習がある時に赤ちゃんのお守りをしたり
私にも無理なくできるんじゃないかと思ったから。
自分が当時感じた事を生かせる仕事です。
こんな事に悩んだ、困った、嬉しかった、色々あったし。
市長の印鑑のついた任命証みたいなのもあるんだって。
すごくない?^m^
引き受ける時に考えたことは
「したい、したくないに関わらず、しなきゃいけない事」、
「自分がしたいと思ったからする事」
「無駄な事」
をバランスよくすることで、生活が充実するんじゃないかということです。
しなきゃいけない事さえしたら、
あとは自分の好きなことだけしてればいい。
それって、楽しいようだけど
多分、心から「充実してる」とは感じられないんじゃないかな。
「誰かの役に立てる事」は、自分の利益にはなりません。
「ありがとう」という言葉が返ってくるだけ。
その言葉をもらって嬉しいと思う人もいれば、
何も感じない人もいるかもしれません。
そんなの時間と労力の無駄という人だっているかもしれません。
だけど、その「無駄」な事にこそ、その人の人生の目的が
隠れてるような気もします。
どんな「無駄」を選ぶかで、その人らしさが見えるような・・・
「無駄」を選び間違えたら、また選び直せばいいだけだし。
そもそも「無駄なもの」って存在するのか。
ある人にとっては無駄なものでも、ある人にとっては必要なものになる。
断捨離だって、だから悩むわけで・・・。
本当に必要なものさえ揃っていれば、幸せなのか。
そんなの、考えなくても幸せじゃないって分かるわけで・・・。
無駄なものは存在しないと考えると、
人は生まれてきただけで価値があるし、意味があることになります。
人だけじゃなくて、物だってそうじゃないかな。
この世に存在したということは、存在する必要があったということでしょ。
必要ないものだったとしても
「これは必要ないものだった」と思わせる「必要」があったってこと。
「私には」必要ないだけ。
ただ、誰かの役に立つために生まれてきたというのは
私はちょっと違うんじゃないかと感じています。
誰かの役に立たなくったって、生まれてきた意味はあるはず。
誰かのために、何かをしたいと思うのは
「無駄」の部分に当てはまるんじゃないのかな。
その割合が、その人の中のどの程度を占めてるのかは
人それぞれで割合は違うから
人に自分と同じ事を求めるのは間違いだと思います。
誰かの役に立とうとするばかりに、自分を大切にできなくなれば
バランスが崩れて「充実」を感じなくなる。
「無駄」なものだらけになると、家の中が散らかって
家の中で安らぎを感じられなくなる。
何でも「自分の中でバランスよく」ということでしょうか。
無駄な物を排除することは、一見すごくいい事のように感じますが
全て排除してしまったら、きっと暮らしにくいでしょうね。
無駄はあっていい。
なくちゃいけない。
そう思います。
ドラえもんの中のお話に「独裁スイッチ」というものがありました。
確か、間違ってないと思います。
のび太は、自分を怒ったり、意地悪をしたり、言う事をきかなかったり
とにかく腹が立った人に対して「無駄!(じゃなかったかも
)」と言いながら
スイッチを押します。
スイッチを押すと、その人が消えます。
のび太は、その時はせいせいしますが
やがて誰もいなくなり・・・
このひみつ道具は、独裁者をこらしめるためのものだとか。
このブログを書きながら、ちょっと思い出した話でした。