「最近の子供達はかわいそう。何でも揃ってるから欲しい物がないし、本当に欲しい物が手に入る喜びを知らない」


聞いたことありませんか?


私は聞くのですが・・・。





うちの子供達は、ほとんど物を欲しがりません。


誕生日やクリスマスにしか買わないのに。


その時でさえ 「図書カード」 とか 「特にない~」 としか言わないので

そういう風に言われてしまうのでしょう。


誕生日はともかく、クリスマスは困りましたあせる

欲しい物、言ってくれよぅガーンって感じで。





以前は 「そうね~」 なんて、何も考えずに相槌を打ってましたが

何となく違う・・・と思って考えてみました。


題して


「うちの子達は、本当にかわいそうなのか」





確かに、今の子供達は恵まれていて

何でも揃っていると思います。


私が小さい頃も、確かに欲しいものはありました。


でも、ゲームとかおもちゃとかで

それって、今の子供達も欲しがってます。




じゃあ、


「『欲しい物』があると幸せなのか」


あれも欲しい、これも欲しいという気持ちがあるのはワクワクして

確かに手に入れた時の事を考えると幸せです。


子供って、結構何も考えずに(本当に遊ぶのか、本当に欲しいのか)

直感的に 「欲しい!」 と考えるところがあるような気がします。


でも、しばらく遊んだら放置とかもダウン


大人だってあります。

「この服、かわいい音譜」と買ったはずなのに、一度も袖を通すことなく

処分してしまう結果になることも^^;


それって、結果的に幸せ・・・とは言えないような汗





「あの子が持ってるあれ、欲しい」


たまにドラマでもあります。


欲しくて欲しくて、でも手に入らなくて

手が出ちゃうことも・・・。





「みんな持ってるから、同じのが欲しい」


うちは二人共女の子ですが、そういうところは全くありません。


つるむのがめんどくさい、ということなのですが^^;


でも、それに合わせて親に頼まれても困るし

手に入れられなかった子は、仲間に入りづらかったり・・・。





やっぱり幸せには感じられないなぁ。


元々否定的だから、そういう発想になっちゃうのかもしれないけど。







うちにはDSもWiiもありますが、月に何回遊んでる?というくらいしか

触っていません。


り~りは読書。

ぷるも読書か、マンガや小説制作。

テレビもほんどついてなくて、見たいテレビが終わると

さっさと消して読書に戻ります。


毎週図書館に連れて行くし

紙や鉛筆、マーカーなどはどんどん使わせます。


結局、二人の一番欲しいものは常に与えている状態です。


でも、大人の目から見ると

それは「子供の欲しがるもの」とは違うから

「欲しい物がない」という風に思えるのかもしれません。





幸せって、いつもその辺にあるもので

それを見つけられるか、見つけられないかによっても

決まってくるような気がします。


おかあさんといっしょで歌われていた 「シアワセ」 という曲。


空が晴れた、お弁当、お友達、喧嘩して仲直りした、お父さん、お母さん・・・


それだけで幸せになれるものだと。


ぷるにとっては、チラシに載ってた野菜ジュースやプリンを買うことも

きっと幸せなのでしょう。


り~りにとっては、図書館で気に入った本に出会えることが

きっと幸せなのでしょう。


一番かわいそうなのは

幸せなのに、幸せだと感じられない人じゃないかな。


他人が判断する「幸せ」が、その人にとって「幸せ」かどうかではなく

自分で判断する「幸せ」で決められるべきじゃないかな。






子供達は、自分は幸せだと言います。


「お前はバカだ、役立たずだ」と言い続ければそう思うように

「かわいそうだ」と言い続ければ、そう感じるかもしれません。


反対に「幸せ」を一緒に感じてあげると

きっと幸せになれると思います。





物を欲しがらない子供達。


人を羨み、妬む必要がない子供達。


自分の感覚で判断できる子供達。


私は、欲しい物がないというのも一つの幸せじゃないかなと思うのですが・・・。


ただ、自分をしっかり持っていないと難しいかな。


そいういう意味で、考え方がしっかりした大人仕様に近い子供達は

私はとても幸せだと思っています。