里帰りから戻る途中の事でした。


モノレール、山手線と乗り継ぎ

ようやく最後の電車に乗った時

目の前に座っていたのは

目の不自由な女の子3人でした。


私達が降りる時、彼女達も降りたのですが

なんとなく気になって一番後ろを歩いていました。


すごいと思ったのは

たった1本の杖で、自由に動ける事でした。

電車からホームに降りるのも慣れた様子。


彼女達は、片手に杖を、片手は前の子の肩に手を置いて

並んで歩いていました。

子供達に「なぜ?」と聞かれて考えたけど

誰かが危ない目に遭っても、助けることができないからでしょうか。

みんなが安全に歩けるよう、

気をつけているように見えました。


もうすぐ改札口というところで

障害者用の印(何と言うの?黄色のブツブツしたもの。よく歩道にあるんだけど、分かるかな?)が

改札より手前でトイレ方向にも続いていました。

彼女達は、トイレに向かって曲がっていきました。


そんなはずはないと思って

「どちらにお出かけですか?そちらはトイレですけど」

と声をかけると、やっぱり改札口に行きたかったそうで

私の腕をつかんでもらって、改札まで案内しました。


途中、下り坂のところで

一人の子がつまづいたのか前にぶつかってしまい

私はそこでようやく、

盲導犬でさえきちんと教えてくれる場所だと気付きました。

自分の目が見えるばかりに、その事に気付かなかったのです。


彼女達は、電車の中でもテレビの話をしていましたが

テレビは見える人だけが楽しいものではなく

見えない人も楽しめるものだと、改めて知りました。


正直言って、考えたこともありませんでした。


五体満足であるということは、

気付かないうちに鈍感になっているのかもしれない。

努力を忘れてしまうのかもしれない。

人間として、本当に精一杯やっているのかと聞かれると

まだまだ努力できるところがたくさんある。



彼女達は、私より色んな事を知っている。


見えていると気付かないことがある事も

きっと知っていると思う。

彼女達は、私よりもたくさん努力して

足りないところをきちんと補っている。


できないから、むずかしいから、向いてないから・・・

色々言い訳はできるけど

今までより頑張ってみようと思わせてくれた彼女達に

感謝しなくては。



ただ一つ気になるのは

改札口まで案内したけど、改札を出るまで付き添った方がよかったのか。


以前、どこかの障害者のHPで

「簡単に手を貸さないでください。私達は何もかも一人でしなくてはならないのです」という一文があり

何でもしてあげることは、単なる自己満足に過ぎないと感じました。


今回、彼女たちに手を貸すべきところは

改札口までと思って別れましたが

(彼女たちは改札を通れず、駅員さんのいる部屋を通過していました)

本当にそれでよかったのか、今でも分かりません。